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PostHeaderIcon 添田院長ブログ Vol.75 「輪廻」

 

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「輪廻」

「輪廻」という言葉、一度は耳にされたことがあるのではないでしょうか?

この「輪廻」、仏教の経典やヴェーダにある言葉で、生き物が、無限に

生まれ変わりを繰り返すことを意味します。

生まれ変わりを繰り返すことが、車輪が廻って軌跡を描き元に戻るようすに

喩えられ、車輪が廻るいう意味の「輪廻」という漢字で表わされたようです。

この「輪廻」という言葉を聞くと、昔に読んだ、お釈迦様の物語を思い出します。

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お釈迦様のいとこに、ナンダという青年がいました。

ナンダは、結婚したばかりで、プンダリーカという、国中の男たちが

憧れるほどの美しい妻がいました。

お釈迦様は、ナンダを修業の道に進むように

何度か説得をしますが、美しい妻への思いが強く

修業の道に入るフンギリがつきません。

そこで、ある日、お釈迦様は、ナンダのとこにやってきて

「ナンダよ、これから私と一緒に、おもしろいところに行かないか?」

と誘います。

「はい、どこでもお供します」

お釈迦様は、神通力を使い、ナンダを異次元世界へと連れて行きました。

ナンダとお釈迦様は、雲の上から、下界を見下ろしていました。

下界では、山火事が起こっているようで、燃えかる森の中、一匹の雌ザルが

鳴き叫んでいます。(雪山で、乞食女を見せたという説もあります)

お釈迦様はナンダに問いかけます

「ナンダよ、あの雌ザルと、お前の妻、プンダリーカでは、どちらが美しい?」

ナンダは、そんなこと聞くまでもないという調子で、

「それは、プンダリーカのほうが一万倍も美しいですよ」

「そうか、おまえは、神の国にいってみたいと思わないか?」

「いけるものなら、ぜひ、いってみたいと思います」

お釈迦様は、再び、神通力でナンダを神の世界へ導きました。

ナンダとお釈迦様は、神々国の丘の上に立っていました。そこからは、神々しい光と、

芳しい匂いに包まれた、たくさんの宮殿のような屋敷が建っているのが見えました。

それぞれの屋敷には、人間界とは比べものにならないような、美しい神と女神がカップルで

住んでいて、仲睦ましそうに暮らしているではありませんか。

ただ、一つの屋敷だけは女神だけしかおらず、その女神は、さびしそうにしていました。

「ナンダよ、あの女神と、おまえのプンダリーカでは、どちらが美しいかな?」

「残念ながら、あの女神と私の妻では、先程の雌ザルと妻を比べるようなもので

女神のほうが一万倍美しいです。しかし何故あの女神だけ一人で暮らしているのですか?」

「あの女神は、おまえが修業の道に入り、人間としての寿命が終わり

その、修業おかげで、神の国に生まれ変わってくるのを待っているのだ」

ナンダは、お釈迦様の神通力で見た、神の国で自分を待っている女神に、

強く心が魅かれ、神の国へ生まれ変わるため、愛妻プンダリーカと別れて、

お釈迦様のもと、精舎へきて、修業の道へ入りました。

お釈迦様は、ナンダ以外の弟子たちを集め

「おまえたち、弟弟子のナンダがこれから、修業し始めるが、残念ながら、ナンダの修業の

目的は、おまえたちとは違う。ナンダは、神の国へ生まれ、女神と一緒になりたいために

修業するようだ、私はナンダに真の目的に目覚めさせてやりたいと思う

おまえたちは、これからナンダに何を聞かれても無視をしてほしい」

神の国に生まれ変わるため、喜んで修業の道に入ったナンダでしたが

兄弟子たちは、ナンダを無視し、彼は精舎の中で孤立してしまいます。

思い悩んだ、ナンダは、兄弟子のアナンダに訴えます

「一生懸命修業に励んでいるのに、どうして兄弟子たちは

私を無視し続けるのですか?私が何か、悪いことをしたというのですか?」

アナンダは「ナンダよ、おまえの修業の目的は卑しすぎる」

あるとき、ひとりで精舎の片隅で修業しているナンダのところへ

お釈迦様がやってきました。

「どうだ、ナンダ、ここでの生活も慣れてきたか?」

「それが、どういうわけか、兄弟子たちが、私と関わることを避けているように感じます」

「そうか、ナンダよ、もう一度、私と一緒に、おもしろいところへ行かないか?

きっと修業に役立つと思う」

「はい、ぜひともお願いいたします」

お釈迦様は、神通力を使い、ナンダを地獄へ連れて行きます。

ナンダとお釈迦様は、血と膿の煮えたぎる池の畔に立っていました。

多くの人の叫び声や呻き声が、嵐が吹き荒れるような音となって

聞こえ、吐き気を催すような悪臭が鼻をつきます。

ナンダが、池の中をみると、たくさんの亡者たちが溺れそうになっていて

あまりの苦しみから、池から這い上がろうとしています。

その亡者たちを、地獄の獄卒、鬼たちが金棒で叩きのめしている光景が見えました。

ふと、後ろを振り返ると、たくさんの大釜が並んでいて、一つの釜に一人づつ亡者が

入っていて、グツグツと煮られている光景が目に入りました。

釜の横には、鬼が、亡者が逃げ出てこないように見張っています。

不思議なことに、一つだけ空の釜があり、その横で、鬼が退屈そうにしています。

ナンダは、その鬼に、どうしてこの釜だけ、空なのか聞いてみました。

「この釜はな、神の国に生まれた、ナンダという男が、その寿命がつき

この地獄に堕ちてきて、この釜で茹でられることになっているのさ」

「輪廻」クリックして大きい画像で見て下さい。絵の詳細は下記参照。

それを聞いたナンダは、結局のところ

たとえ神の国であろうと、一時は

幸福に酔いしれることができるかもしれないが

迷いの世界で、そこでの寿命がつきれば

地獄、餓鬼、動物など迷いの世界を

生まれ変わりながら永遠に、輪廻転生を

繰り返す運命にあることが、わかりました。

そして心を入れかえ、悟りを開き、輪廻の

世界から抜け出し、衆生を苦しみの世界から

救うため、他の修業者たちと同じように

修業を始め、悟りを得ることができたそうです。

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私には、仏教やバラモン教の教えにあるように、輪廻転生があるかどうかは分かりません。

もし輪廻転生があるとしても、お釈迦様や、聖人のように悟りを開き、迷いの世界を

輪廻転生することから抜け出ることなどは、できないと思います。

ただ、もし、本当に輪廻転生があるのなら

また、生まれ変わって、歯科医師として、歯や、歯周病、入歯などお口の状態で

悩んでいる患者さんのお口の健康の手助けがしたいと思います。

医療法人 添田歯科診療所 院長 添田義博

※解説

「輪廻」(六道輪廻)を表わす仏教の絵です。

中央に大きな輪があり、地獄、餓鬼、動物、人、阿修羅、神の六つの

世界に分かれていて車輪のように見えます。

人だけが、唯一、悟りを開き、迷いの世界である輪廻から抜け出ることが

できると云われています

PostHeaderIcon 添田院長ブログ Vol.74 「ちひろ、尋、十尋、百尋、千尋」

 

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「ちひろ、尋、十尋、百尋、千尋」

     

スタッフと、お昼ごはんを食べていて、そのスタッフの名前の云われが話題になりました。

彼女の名前は、「ちひろ」といいます。

「ちひろ」という名前を聞くと、スタジオジブリのファンのかた

なら、10年近く前に、流行った、「千と千尋の神隠し」という

宮崎駿監督のアニメのヒロインを思い出されるかもしれませんね。

千尋の尋は、日本の慣習的な長さの単位で、両手を左右に

めいっぱい伸ばしたときの指先から指先までの長さを基準にして

おり、一尋は、およそ5尺~6尺(1.515~1.816m)だそうで、

昔、漁師さんが、海の深さや釣り糸の長さを表わすのに、用いた

ようです。この意味から考えると、

・十尋(とひろ)  50尺~60尺  長い、 深い 、大きい

・百尋(ももひろ) 500尺~600尺  すごく、長い、深い、大きい

・千尋(ちひろ) 5000尺.~.6000尺 測り切れないぐらい、長い、深い、大きい

というようになるかと思います。

「千尋」(ちひろ)はお父さんやお母さんが、大きな人間に成長してほしいと願いを込めて

彼女につけた名前ではないかと感じます。

実際、そのスタッフは 細かいことにこだわらない、大らかな良い性格で

「やはり、名前は人間を表わすのかな」と感じます。

「ソエダ歯科」といえば「良い歯科医院」を表わすといわれるよう、スタッフと一緒に頑張って

いきたいと思います。

医療法人 ソエダ歯科診療所  院長 添田義博

 

※名前は、スタッフの了解を得てブログに掲載しています。

PostHeaderIcon 添田院長ブログ Vol.73 「代名詞」

 

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「代名詞」

   

私 「あれ、どこにいったかな?」

妻 「なに?」

私 「あれや、これが使いづらいから、電気屋さんで買った、ほら、ほら・・あれやん」

とっさに、ものの名前が出てこなくて、もどかしくしていると、辛辣なことばが飛んでくる。

妻 「あれ?あれ、これ、じゃわからない、ちゃんと名詞を使って

   主語と、述語で言って、あなたのことば、宇宙人みたいで全くわからないわ」

私「・・・・  」

情けないけど、年齢のせいか、物の固有名詞をど忘れし、とっさに言えなくなり

代名詞ばかりになり、何を言っているのか理解してもらえないことがあります。

私は51歳を過ぎたところですが、「こういった現象は、私だけなのか?

私だけ老化が早いのか?ひょっとして、若年性認知症なのか?」

ふと、不安がよぎることがあります。

私の診療所には、古くから一緒に仕事をしている

私と同年代の先生がいます。仮にT先生としておきます。

先日のことです。

T先生が、患者さんを治療していて

横には、4月に入った新入スタッフが介助しています。

T先生 「あれ、持ってきて」

スタッフ「あれって? どれですか?」

T先生「あれや、あれ、消毒室の引き出しにあるやろ」

新入スタッフが、どうやら見当はずれの器具を持ってきたようで

T先生はかなりイラついた表情で、眉間にしわをよせています。

「それと違う、抜歯に使う、先がギザギザになった」

「???・・・・」

そこに、ベテランスタッフがタイミングよくやってきました。

そのベテランスタッフは、心得たもので

T先生の使うものは熟知していて、素早く、T先生のいう

「あれ」なる器具を持ってきました。

「これやで!」

このやりとりを聞いていて、

「あれ、これ、それなど代名詞が多くなるのは私だけではない」と

内心ほっとしました。

ところで、今、日本全国で、コンビニの数より、

はるかに多く歯科医院があるといわれますが、

良い歯科医院の代名詞といわれるように、

スタッフといっしょにがんばっていきたいと思います!

医療法人 添田歯科診療所 院長 添田義博

PostHeaderIcon 添田院長ブログ Vol.72 「歯磨剤 CM」

  

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『歯磨剤 CM』

   

♪ 「キレイ歯、キレイ息 ***」 ♪

♪ 「歯周病とたたかう○○○」 ♪

♪ 「白い歯って、いいな! @@@」 ♪

などと、テレビで盛んに、虫歯予防、歯周病予防、

口臭予防、白い歯などの謳い文句で、イケメンの俳優さんや

カワイイ女優さんが、様々なメーカーの歯磨剤のCMをしています。

俳優さんや、女優さんの爽やかな笑顔と美しい歯、

歯ブラシに、たっぷり歯磨剤をつけブラッシングするシーン、

そして、歯磨剤が歯についた、プラークや細菌を溶かすCGなど、

CMだけ見ていると、一度買って使ってみたくなるものばかりです。

      

ところで、日本初のCMソングは、江戸時代の歯磨き粉だと云われています。

1769年(明和6年)平賀源内が「漱石香」(そうせきこう)という歯磨き粉の

売り口上の制作依頼を受け、祭に作った云われています。

売り口上とは、今で言えばキャッチコピーでしょうか?

「トザイトウザイとはじまって、私は商いの損が続いていて困っていて、

何ぞ元手のいらぬ商売はないかと考えて、この歯磨き粉を売ることとなった。

第一に歯を白くし、口中をさわやかにし、悪いにおいをとり、などといろいろいうが、

きくきかぬは夢中にて一向存ぜず、たかが歯磨き粉なればきかずとも害にはなりますまい。

お引き立ての程隅から隅までどうぞよろしく」

そして、この売上口上をもとに

子供たちに「♪箱入り歯磨き 漱石香 歯を白く お口をきれいにいたしまする・・・・」

などと歌わせ、それが広まり、やがて江戸の多くの庶民が口ずさむまで、

流行したそうです。メロディーが残っていないのが残念です

現代風にアレンジすれば、今でも十分通用するCMソングではないでしょうか。

源内は、日本初の発電機 エレキテルの発明をはじめ、土用のうなぎの広告

平賀源内

など様々な分野で、歴史に名を残していますが

あらためて、その多才、偉才に感心します。

源内作の日本初の歯磨剤のCMソングから

240年余り経った現在、テレビで盛んにCMを

している歯磨剤ですが、「その効果は?」と問われると

歯磨剤のメーカーさんには申し訳ないですが

源内の売上口上にあるように

「きくきかぬは夢中にて一向存ぜず、

たかが歯磨き粉なれば、きかずとも害にはなりますまい」

正直『???』と言わざるをえません

どういった歯磨剤がいいかというのは、できれば、

一度、歯医者さんで、

カリエスリスク歯周病のリスクを検査(虫歯や歯周病に

なりやすさを調べるもので、唾液やお口の中のプラークを

採るだけの簡単なものです)し、その検査の結果から、

歯ブラシの使いかた歯磨剤の種類など、アドバイスを

受けられると良いとおもいます。

  

医療法人 添田歯科診療所 院長 添田義博

PostHeaderIcon 添田院長ブログ Vol.71 「捨てウサギ」

 ——————————————————-院長ブログ

「捨てウサギ」

今年は、ウサギ年です。

街を歩いていても、いたるところに、可愛らしいウサギの

置物や写真などが、新しい年のマスコットとして飾られています。

先日、TBSの夜のニュースを見ていると、最近、ペットブームで鳴かない、

小さい、犬や猫は隣近所に気を遣うけど、ウサギなら手軽などという理由で

マンション住まいの人を中心にウサギの人気が高くなっているそうです。

しかし、その裏で、捨てウサギが急増しているそうです。

捨て犬、捨て猫、捨て子、捨て亭主は耳にしますが・・・捨てウサギは初めて聞きました。

ウサギは、飼ってみると、夜中に足をならしたり、コードを咬み切ったり

「可愛くないから飼えない」「もう飼えない」などの理由で

あっさり捨ててしまう人が多いようです。

歯が伸びて、毎月伸びた歯を削るのに、動物病院に行かないといけなくなり、

予想外のお金と手間がかかったりし、ウサギを専門にしている動物病院も

少なく、予想外の治療費や通院の交通費がかかるのも、捨てウサギが

増えている原因かもしれません。

ウサギは、捨てられると、野良ネコに襲われたり、犬に追い回されたり、

生き続けることは、難しいようですが、5年ほど前に東京の河川敷で

捨てウサギが、大繁殖して問題に、なったことがあるそうです。

最近は、捨てウサギ救済サイト(Save  The  Rabbits)や

ウサギを保護するNPO法人などもあるようです。 

NPO法人のスタッフは、「飼う前によくウサギの習性などを十分理解し

納得して飼ってほしい」と呼びかけていました。

どんな動物でもいったん飼ったなら、モラルとして、最後まで面倒を

見てあげるべきだ考えます。

人とペット付合いは、ある意味、人と人の付合いに根本的には

通ずるものがあると感じます。

いったん縁があって私ども診療所に、来院され治療させていただいた患者さんには

自分が働ける限りは、最後までスタッフとともに、治療させていただきたいと考えています。

医療法人 添田歯科診療所 院長 添田義博

 

————-追記————-

『うさぎ編集長』こと受付の岡本です。

今回の院長先生のブログを読んで、私も皆さまにお伝えしたいと思い、

追記させて頂きました。私も長年にわたり、自宅でウサギを飼っています。

現在一緒にいるウサギさんで3代目になります。

ここ数年のウサギブームで、かわいそうなウサギが、増えていることに、

以前からずっと、心が締め付けられる思いでした。

報道があったような、無責任な飼い主達が、許せません!!

歯が伸びすぎてしまうのは、ペットフードと共に、牧草など歯を摩耗する食物を

キチンと与えなかった飼い主の責任だし、足を踏みならす行動は、鳴くことの

できないウサギさんが、一生懸命、威嚇や不満を表現しているのです。

うるさいぐらいに足を踏みならすほど、不安な気持ちにさせた飼い主の

責任だと私は思います。

ウサギに限らず、犬や猫など飼う前に、その動物の習性や飼育方法を

勉強して、本当に最後まで家族として一生を過ごせる人のみが飼ってほしいと

本当に強く願います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

PostHeaderIcon 添田院長ブログ Vol.70 「門松」

  

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 「門松」        

 新年あけましておめでとうございます。

 本年も宜しくお願い申し上げます。

添田家の門松

 さて、正月に家の玄関先で、よく目にする縁起物といえば、

 門松ではないでしょうか。

 門松は、ご存知のように 新しい年を迎えるにあたり、

 玄関先を清め 新年の年神様をお招き、 邪気や悪鬼などが、

家の中に入ってこないように立てられるもので、

もともと 松、杉、椎、榊などの常緑樹を用いていたようです。

いつの頃からは、わかりませんが松が主に用いられるようになりだし、

現在のような、松と竹を使った形になり 「門松」と呼ばれるようになったそうです。

松と竹を使用するのは 「松は千歳を契り、竹は万代を契る」という諺があり、

神様の宿る場所(依代よりしろ)が、永遠に続くことを願ったのだそうです。

ところで、私は、この門松を見るたびに、

「門松は冥土の旅の一里塚めでたくもありめでたくもなし」という、

一休宗純

室町時代の禅僧一休さんが、詠んだと云われる句を思い出します。

なんだ正月早々、冥土の旅とは、縁起の悪い。めでたい気分に

水を差して、ひねくれた奴と思われるかもしれませんが、二十代、

三十代のころは、そんなことは全く感じなかったのですが、 

四十代の半ばを過ぎたぐらいから、子供と一緒に走っても追いつけ

なくなったり、目も老眼になりはじめ、ものが見にくくなったり、

自分の身体に老化の兆しを感じるようになりました。

そして、昔からの患者さんや、友人の両親や、お世話になった学生時代の恩師や

先輩などが他界され、新しい年を迎えるたびに、喪中欠礼のはがきの枚数も確実に

増えています。

先日、学生時代の同級生が、重い病気を患ったということを耳にし、自分自身もいつ癌などの

重い病を患っても、おかしくない年になり、一休さんの句のように、正月を迎えることは、

世の中の常識では、めでたいことではありますが、確実に、人生の終着点に向かって

時計の針が進んでいるなと感じます・・・。

   

妻 「あなた、おもちが焼けたわよ!正月早々に、またブログ!?

   うん、どれどれ・・・老化の兆し、老眼?いつ重病を患ってもおかしくない?・・・

   何だか、とてもジジ臭い!義父さんを見てごらんなさいよ。毎朝、2時間近く散歩して、

   その後、診療所に出勤し、83歳で、車も運転するし、お酒も強いし、年に5,6回は

   ハワイに行って、バイタリティーにあふれているじゃないの」

添田家おせち

私  「はいはい、分かりました、ちょっと休憩して、 おせち料理を、

   肴にお酒(ビール)でもいただこうかな~と」

妻 「あなた、義父より生命力が弱いから、お酒なんか飲んだら

   寿命を縮めるわよ。それに、お歳暮にもらったビール、庭師の

   おじさんにあげちゃったわよ」

  

『めでたくもあり、めでたくもなし。』一休さんの句が、頭の中に響いてきた。

今年も、スタッフ一同、口という入り口、しっかりと立つ門松となって

歯周病菌や虫歯菌などの悪玉菌を追い払い、

永く口の健康の神様がやどるように、努力してゆきたいと思います。

あらためて、宜しくお願い申し上げます。

 

医療法人 添田歯科診療所 院長 添田義博

 

※画像 一休宗純(いっきゅうそうじゅん)Wikipedia

PostHeaderIcon 添田院長ブログ Vol.69 「一見四水」

  

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「一見四水」

    

「一見四水」ということばがあります。

一つの水でも、

天人が見れば、瑠璃(青い宝石)の鏡に見え

人間が見れば、飲み水に見え

魚が見れば、住みかに見え

餓鬼が見れば、炎にみえる

見る者によれば四通りに見えるということを意味しています。

そういったことで、見る者の立場、条件が変われば、同じものでも違ったものになり

ものごとを自己中心的に、一面的に見てはいけないということを

戒めた禅の教えだそうです。

人の心も、「一見四水」のごとく、心の状態でものごとの捉え方が

変わってくるように思います。

嬉しいときは、周りに対し寛容で肯定的に

怒っているときは、周りに対し狭量で否定的に

哀しいときは、周りが暗く悲観的に

楽しいときは、周りが明るく楽観的に

   

こころのあり方により、ものごとの見方も変わってしまうのが

人の性、世の常なのでしょうか?

妻の私に対する評価も

機嫌が悪い時は、粗大ゴミのごとく

少し機嫌が悪い時は、清掃夫のごとく

機嫌が悪くも良くもない時は、友達のごとく

機嫌が良い時は、恋人のごとく

   

冗談はさておき

日々、仕事をしていて

 何でも、自分の目線で、ついつい判断しがちですが

「一見四水」のごとく、『同じような治療でも、患者さんによって

その方の性格、社会環境など立場が変われば、受け止めかたが違う』ということ

を肝に銘じ、来院してくださる患者さんには、

その患者さんがどんな方であろうと

また、どんなお口の状態であろうと、

できるだけ多くのかたに喜んでいただける治療を

スタッフとともに目ざしていきたいと思います。

医療法人 添田歯科診療所 院長 添田義博

PostHeaderIcon 添田院長ブログ Vol.68 「日曜学校」

 

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「日曜学校」

   

私が、小学生になったばかりの頃は、堺の浅香山というところに住んでいました。

私の家は、キリスト教徒ではなく、どちらかというと宗教的なことにあまり関心のない家庭

(一応、家の宗派は浄土真宗です)だったのですが、その頃、どういうわけか

『日曜学校』なるものに、しばらく通って・・・いや、通わされていました。

当時の休日は、母親にデパートでのショッピングに連れて行かれることが、

よくあったのですが、すぐ、どこかに隠れて、わざと迷子になり、陰からかくれんぼ

のような感じで、母親たちが探し回るのを面白がって見ていたことが、何度かあったそうで

(あまり、そのことについては、はっきり覚えていないのですが母親からすると、

タチの悪い子供だったようです)とうとう母親が怒って、

「すぐ、迷子になって、あんたなんか、もう二度とデパートに連れて行かないからね」

と、叱られたことが、ぼんやりと記憶に残っています

母親も、そんな私を持て余し、日曜学校に通わせたのかもしれません。

さて、日曜学校は、家から歩いて4,5分ぐらいのところにあり

小さなプレハブの工事現場などで見られるような建物でした。

日曜学校に行くとまず、最初に教会の神父さん?らしき人の

あいさつがあり、讃美歌を歌ってキリスト教に関する、お話がありました。

お話が終わると、出席カードにシールを貼ってもらい

最後が、おやつタイムでした。

ずいぶん昔のことなので、神父さんがどんなかただったか、また

どんな話をされたかは、お覚えてはいないのですが、

たしかクリスマス会の時に聞いた、アフリカの首刈り族の話だけは

不思議に、記憶に残っています。

                   

アフリカのある国に、西欧の国から、熱心な宣教師が布教活動にきていて

ジャングルの奥地にある、ある部族に布教を行っていたそうです。

その部族では、毎月、部族が神に祈りをささげる祭の日に、部族外の人間を殺して、

首を刈り、生贄として神に捧げる首刈りの風習があったそうです。

宣教師は、「人を殺して、その首を生贄に捧げる」という、恐ろしく、

罪深い行いをすぐにやめて、悔い改め、キリスト教を信じるように、

部族の族長の息子に、毎日、熱心にキリストの教えを説きました。

そうした甲斐があって、族長の息子は洗礼を受け、キリスト教の

信者になりました。

彼は、父である族長を説得しますが、族長は、頑なに生贄を中止することを拒みます。

そのうち、祭の日が迫ってきました。

祭の数日前から、村の男たちは、生贄を求め走り回りますが、生贄となる人間が

全く見つかりません。村の長老会議で、どうするか協議します。

生贄が見つからなければ、村から誰か生贄を選ばなければなりません。

あれこれ議論した後、祭の前日までに生贄が見つからなければ、

やむを得ないが、村に来ている宣教師を生贄とするという

決定がなされました。

祭の前日になっても生贄は、依然見つかりません。

夕闇が迫るなか、族長を頭に、村の男たちは生贄を求め

隣村との境界近くの森の小道で、待ち伏せをしていました。

すると、薄暗い中、松明を持ち、マントのようなもので

顔を覆った、男がゆっくりと歩いて来ました。

男たちは、毒矢つがえ、生贄となるものが、毒矢の射程に入るまで

息をひそめて待ちます。

「ビュッ」鋭い音のあと、「ギャッ」という声がしました。

村の男たちは、「やった!」と背中に矢がささり、ひっくり返り、呻いている男に

近づき、首を刈るため、顔を覆っている。マントをはぎ取りました。

何と、その男は、族長の息子でした。

族長の息子は毒が全身に回り、死を目前にし、最後の力を振り絞り

族長に、生贄をやめることを訴えました。

自分の師である宣教師が、生贄にされることを耳にした息子は、

自分に生贄なることで、宣教師を救い、また、父である族長に死を賭して

首刈りの悪習を止めさせようと身代りになったのでした。

族長は、深い悲しみと、息子の願いを聞き入れてやれなかった後悔で、

邪教の信仰を捨て、キリスト教の洗礼を受けました。

その部族のすべての人間も族長に倣い、キリスト教の

洗礼を受けました。

自己犠牲のもとに、宣教師は、自分を救い部族の悪習を

止めさせた族長の息子に、人々の罪を購うため、十字架に架かった

キリストの姿を感じ、深い感銘を覚えこの話を自分の国に帰り、人々に伝えました。

                   

  

インプラントの手術が終わって、少し遅めの昼食を昼食を一口、二口と、口にしたとき

「先生、患者さんが予定よりも早くこられました」

スタッフが声をかけてきました。

食べかけの昼食を、そのままに、その患者さんの治療へ。

治療を終え、昼食を再開すると、別のスタッフが、呼びに来ました。

「予約外ですが、義歯の調整の患者さんがこられています、少し急がれているようです」

「ちょっと待って、もらって」

『いや、いけない・・・昼食の途中で、少々お腹がすいていても、そんなことぐらい』

「いや、すぐ行くから」

そんな時は、あのアフリカの首刈り族を思い出し、自分を戒めることがあります。

医療法人 添田歯科診療所 院長 添田義博

   

※この話は、40数年前、日曜学校で聞いた牧師さんの、お話を自分の中にある

イメージを増幅させ、多少、脚色して書きました。

オリジナルのストーリーとは、幾分違っているかもしれません。

日曜学校の関係のかたで、オリジナルのストーリーをご存知のかたに、おことわり申し上げます

PostHeaderIcon 添田院長ブログ Vol.67 「夜が怖い」

 

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「夜が怖い」

  
夜が、仕事が終わって家に帰るのが怖い。

知らず知らずのうち、本屋や、赤提灯などに

足が向いて時間をつぶしてしまう・・・

実は、夜が・・夜が怖い。

夜、家に帰って、妻の顔を見るのが怖い・・・。

ナンチャッて、これは冗談です(笑)

妻にたいして、一点の曇りもないほど疚しいこともないし、

妻の顔を見るのが毎日嬉しいぐらいです。

(ヨイショ、ヨイショ もうひとつついでにヨイ ショ)

ホント、ホント。

「夜が怖い」 私と同業の歯科医の先生なら、

「夜が 怖い」と一度は感じたことが、あるのではないかと思います。

「夜が怖い?」正確にいうと「夜の眠りが怖い」 「眠りが怖い?」

あれですか、ずいぶん昔、話題になった、あのホラー映画

怪人フライドチキン、それはケンタッキーだったな。

う~ん、名前が出てこない

フライデー・・・ フライデーは金曜日

そうかジェイソンだ、それは「13日の金曜日」だったよな

そう思い出した!フレディーだ。

そのフレディーという怪人が悪夢にでてきて

 夢の中で惨劇を起こし、夢と同じ事が現実になる

ほれ、「エルム街のなんとか」、そう「エルム街の悪夢だ!」

「何が、悪夢なの?一人でブツブツ気持ち悪い。

うん? 『エルム街の悪夢』そんな映画、マニアックなオヤジしか知らないのとちがう?」

突然、妻が、怪人フレディーのようにブログに乱入して来た。

《エルム街の悪夢の映画予告画像です ※注意 ホラー映画ですので、苦手な方は再生しないで下さい

あらすじ:エルム街に暮らす高校生たちの、夢の中に利な鉄の爪をつけた怪人が現れ、彼らを脅かす。

夢の恐怖は現実化し、体には傷まで残っていた。悪夢とともに殺人事件が続く中、彼と闘うことに……。

夢の中のみならず、現実にも出現する殺人鬼の恐怖を描く。》

冗談はさておき、先日11月20~21日に、私が所属しております、

日本口腔インプラント学会『第30回近畿・北陸支部、

総会・学術大会』が、福井県で開催されました。

簡単にいいますと、インプラントの技術や知識の向上を

目指し、興味をもって勉強されている、近畿および、北陸

地区の先生のための、年に一度の大きな勉強会です。

私も、20日の土曜日の午後から、診療をお休みさせていただき、泊まりがけで勉強しに

行ってきました。この大会の中で「睡眠ブラキシズムとインプラントの咬合」というテーマで

特別講演がありました。

講師は、関東の歯科大学の矯正の教授、そして、その大学の学長もされておられ、

我々の業界では、著名な権威の先生で、大変素晴らしい講演でした。

ブラキシズムとは、「歯ぎしり」のことで、

グライディング:上下の歯を強く擦り合わせる動作。

         一般的には、これを「歯ぎしり」と呼ぶ事が多い

クレンジング :上下の歯を強く噛み合わせる動作。簡単にいえば「くいしばり」です

タッピング  :上下の歯をカチカチ噛み合わせる動作

         動作の様式から、上の三種類のパターンに分類されます。

やっかいなことに、この「歯ぎしり」により、睡眠時など無意識下で

想像を絶する強い力が、歯や、歯周組織、顎関節などにかかり、

歯の咬耗、破切、知覚過敏、虫歯、歯周病進行、顎関節症など

様々なトラブルを起こします。

この、「歯ぎしり」は病的なもので、咬唇癖(くちびるを咬むくせ)

弄舌癖(舌をあちこち動かすくせ)などのように、無目的、無意味に

無意識下に行われる、異常習癖と云われていましたが、

講演の中で、講師の先生は、歯ぎしりは生理的な活動で、

程度の差はあっても、ほとんどの人が行っているそうです。

あるリサーチでは、97、8%の人が睡眠時に歯ぎしりを行っており、

歯ぎしりをしていなかった人は、うつ病等、精神的な病気をもって

おられる人だったと、報告されていました。

この、歯ぎしり、精神的、肉体的ストレスを歯ぎしり行なう事で、発散しているという。

多くの野生動物は、ストレスをうけると、咀嚼器官を使い、そのストレスに

反応するそうで、簡単にいうと、狼などが敵に遭うと牙をみせ、威嚇する行動をとります。

私の妻も、ときに牙をみせ威嚇しますが、私が大きなストレスなのでしょうか?

これまた、冗談です(笑)

いずれにしても、野生動物にとって外敵に遭遇することが、

最も大きなストレスなわけで、そういったときに、彼らは

歯を食いしばり、牙を見せ相手を威嚇するという行動をとるそうです。

人は、高度に大脳が発達し、野生動物のように咀嚼器官を使い

牙を見せ、歯を食いしばるなどの、ストレスを発散させるという行動は、

覚醒時に抑制され、睡眠時や無意識化で、歯ぎしりをしてストレスを

発散させる活動が、大脳の指令により行われるそうです。

今から15、6年ぐらい前になりますが、私の左の下の奥歯(一応専門家なので

正確に言うと下顎左側第一大臼歯です) が、朝食に柔らかいパンを食べて

いたら欠けてしまいました。

私は、強度のブラキサーらしく、何度か母や姉に、

眠っているとき、ギリギリと歯ぎしりの音がうるさくて

眠れないと指摘されたことを覚えています。

おそらく、このときも眠っているときに歯ぎしりをしていて、

それまで、歯ぎしりでダメージを受けていた歯に、亀裂が入り、

たまたま柔らかいものを食べて、歯が欠けたものと思います。

(通常の咀嚼の際にかかる力ぐらいで、歯が欠けることは考えられません)

ある研究によれば、歯ぎしりで第一大臼歯に瞬間的にかかる力は、自分の体重の

約1.5倍にもなるともいわれています。

私の場合であれば、60kg×1.5=90kgすなわち、軽量級のお相撲さんが、

ドスコイ、ドスコイと歯の上に乗っかていたことになるわけです。

そりゃ~、歯も欠けたりもしますわな。

マウスピース

そういう、苦い経験があって、夜間眠るときには必ず、

歯ぎしり防止のナイトガード(プロボクサーなどがはめている

マウスピースの親戚みたいなものです)をはめています。

「歯ぎしり」をしていると自覚しているかた、

「歯ぎしりなんかしていない」と思われているかたも

朝顎がだるい、歯が全体的に削れてきたよう感じがする

知覚過敏で全体的に歯がしみるなどの症状があるかたは、

一度、チェックされることをお勧めします。

でないと「夜は怖い」、「眠りが恐ろしい」ということに

なるかもしれませんよ。

医療法人 ソエダ歯科診療所 院長 添田義博

ブラキシズムに関しては、様々な説があります。

  ブログの中で書いたことは、医学的に実証されていない部分もありますので、ご了承ください

当院では『ブラックスチェッカー』といって、睡眠中に歯ぎしりをしているか調べる方法があります。

その結果によって、マウスピース等の必要性がわかります。  詳しくはコチラ

トラ画像:クリエイティブ・コモンズ by:Tambako the Jaguar

PostHeaderIcon 添田院長ブログ Vol.66 「ぬれ落ち葉」

———————————————————————-院長ブログ

「ぬれ落ち葉」

   

毎日、妻と近くの公園を散歩しますが(ブログ虫の声を見てね)

季節が、秋から冬へと移り変わりつつあることを感じます。

実際の公園の写真です

つい2、3週間前までは、聞こえていた虫の声も

鳴りを潜め、枯葉がハラハラと舞い落ち、枝に残っている

葉っぱの数も疎らです。

散歩道は、落ち葉で覆い隠され、黄色や褐色の絨毯を

敷きつめたような感じで、歩くたびに落ち葉がカサカサと

音をたてます。

落ち葉の中を、歩きながら「秋が終わり、冬がやって来たな~、

そうこうしている間にクリスマ ス、大晦日、1年経つの早いよな~」と

妻に話しかけると、こちらの話しかけにも上の空で、妻のスニーカーにへばりついた

落ち葉か何かを剥がそうと、強く足踏みしたり、靴を地面に擦りつけたりしています。

「ん?落ち葉、ぬれ落ち葉、昨日の雨でぬれている落ち葉が靴に

へばりついて離れない、気持ち悪い、本当にもう~」

渡辺淳一 「孤舟」

その光景をみて昔、流行語となった「ぬれ落ち葉(族)」と

いう言葉が思い浮かびました。

(今でいうなら孤舟族ですか。渡辺淳一先生の「孤舟族」という

10万部以上売れている最新作からでた言葉です)

この、「ぬれ落ち葉(族)」定年退職した夫のことで、

仕事一途だった夫が、家では邪魔な存在であることを表現した言葉だそうです。

家でやることのない定年後の夫が、妻が出かけようとすると

「わしもついて行く」といって、どこにでもへばりついてこようとする姿が、

払っても、払っても、なかなか落ちないぬれ落ち葉のようだという、ある主婦の発言を

評論家の樋口恵子さんが紹介し、それが広がり1989年の流行語大賞にまで選ばれました。

アラフィーの男の立場からすると、この「ぬれ落ち葉」という言葉は、何となく

「人生の晩秋をむかえた男の悲哀」を感じさます。

一生懸命、人生の春、夏、秋と家族のため働いてきて、冬(定年後)を迎え、

自分の拠り所となる仕事がなくなり、毎日どうして過ごせばいいのかわからない。

一番の理解者だと思われた妻も、気づいてみれば、大きな溝ができていて・・・・・

(もちろん夫を持つ女性の立場からすると、そうなって当然という原因があるでしょうが)

私に関して言えば、妻とも一緒に散歩していますので、今のところ、ぬれ落ち葉のように

鬱陶しがられているような気配もなさそうです(本当のところは分かりませんが)

そして、なにより幸いなことに、私の仕事は定年はありません。

「定年を過ぎた年になっても妻から『ぬれ落ち葉』と

鬱陶しがられないように、いつまでも健康で、患者さんに、

喜ばれる治療をしないといけないな」と木枯らしの吹く中、

落ち葉を踏みしめながら、ぬれ落ち葉を払いのけようと

足踏みしている、妻をみて思うのでありました。

医療法人 添田歯科診療所 院長 添田義博