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PostHeaderIcon 添田院長ブログ Vol.65 「師走」

 

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「師走」

   

師走に入ると、いつも世の中が慌ただしく新しい年に向かって

進んでいき、時間の経つのも心なしか早いように感じます。

私の仕事も、師走に入ると、新年を迎えるまでに、歯を治したいという

患者さんが、たくさん来院されるので、結構忙しくなります。

ところで、この「師走」とは、旧暦の12月のことで、

何故、「師走」と云われるようになったのかは、様々な説があります。

①    12月「年が果てる」意味から 「年果つ」(としはつ)が「しはす」に変化したという説

②    「四季の果てる月」を意味する「四極(しはつ)」から変化したという説

③    「一年の最後を為し終える」という意味から「為果つ」から変化した説

④    平安時代、僧侶たちがこの時期にはいると仏事などで忙しく、あちこちに呼ばれ

馳せ参ずるため「師馳せ」と云われるようになりやがて、「師走」という当て字が、

使われるようになり、それが定着したという説{平安時代末期の色葉字類抄

(いろはじるいしょう)という書物にかかれているそうです。

どの説が正しいかどうかはっきりしていないようですが、

個人的には④の説が、しっくりくるような気がします

師走であろうと、師走でなかろうと、

いつも、スタッフとともに患者さんのために走りまわり

患者さんに求められる、良い治療をしていきたい思います。

医療法人 添田歯科診療所 院長 添田義博 

PostHeaderIcon 院長ブログ Vol.64 「木枯らし」

 

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「木枯らし」

   

木枯らしが吹く季節になりました。

木枯らしは、日本の太平洋側の地域で、晩秋から初冬にかけて、北のほうから

(正確には北から西北西)吹く強い風(風速8m以上)のことをいうそうです。

気象のことは全く詳しくないですが、

冬型の気圧配置になったことを示す現象だそうです。

ところで、「木枯らし」というと、「木枯らし紋次郎」という中村敦夫さん

主演のテレビドラマを思い出します。

当時、たしか中学生になったばかりの頃だったと思います。

私は、この番組が大好きで、毎週、放映されるのを楽しみにしていました。

また、結構、人気もあったように思います。

この番組の上条恒彦さんの主題歌「だれかが風の中で」も大ヒットして、

シングル盤のレコードを購入したこと覚えています。

  

私のような、アラフィーからアラ還の世代のおっちゃんなら

番組を見たことがあるかたも多いのではないでしょうか。

上州新田郡、三日月村出身の主人公 無宿渡世人 紋次郎は

派手な殺陣で 、刀を振り回し、カッコよく、悪役をバタバタと切り伏せていく

勧善懲悪ものの従来の時代劇のヒーローとは違い、あまり、人と関わりを

もつことを避け、面倒なことに巻き込まれることを嫌う

己の腕だけで生き抜いてきた、一匹狼でニヒルであまり感情をあらわにしない

中村敦夫さんの演技は、はまり役だったように感じます。

格闘シーンも、刀と刀で、派手に切り合うシーンはあまりなく

よろけながら、また、泥だらけになりながら取っ組みあい

刀も使っても、相手の刀をはたき落としたり、突いたり

泥臭い殺陣で、本当の喧嘩のようで

それがまた、何だか、とても新鮮で、これぞ新しい時代劇だと

感動したことを覚えています。

紋次郎の「あっしには、かかわりのねえこって」という

決まり文句が、カッコよく、長い楊枝を口にくわえ、吹き矢のように

「ヒュッ」と飛ばし、狙いどおりのところに、つきさすシーンも印象的でした。

台所から、こっそり串料理用の串をもち出し、自分の部屋で、紋次郎の真似をして、

口にくわえて飛ばす練習をしていると、母が部屋にきて、床に散らばった数本の串を見て

「あんたでしょ、台所から串料理用の串持って行ったの」

「あっしには、かかわりのねえことでござんす」

「なにがかかわりのないことや、あほ!

中学生にもなって、そんなことして」

そう言って、怒られたことを覚えています。

ところで、みなさん、食事の後に、食べたものが、挟まると気持ち悪いですよね。

そんなとき、楊枝を使いたくなりますが、歯科医の立場から言うと

楊枝は、先がかたく歯肉を傷つけやすいので、あまりお勧めできません

(もちろん、ちょっとした食べ物を突きさし、フォークのように使うにはとても便利な

道具だと思います)

歯間ブラシ

できれば、ご自分にあったインターデンタルブラシ(歯間ブラシ)や

フロス(糸楊枝)を使うことをお勧めします。

そして、ときどき歯医者さんでチェックを受けられることをお勧めします。

 

医療法人 ソエダ歯科診療所 院長 添田義博

present

ブログを読んで、来院頂いた方、先着20名様に、歯間ブラシプレゼント!

受付で「木枯らしのブログ読みました」と言ってくださいね。

 

PostHeaderIcon 添田院長ブログ Vol.63 「Hospitality ホスピタリティー」

 

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「Hospitality ホスピタリティー」

 

先日の土曜日11月13日に、私が役員をさせていただいている

美容口腔管理学会という学会の

年に一度の大会が、梅田で開催されました。

大会では、教育講演の座長(仕切り役)を

させていただきました。

講師の先生は、テレビ、ラジオなどの司会者、

美容情報番組、歯科情報番組などのレギュラー

レポーターとして出演され、歯科医院の受付マナー

研修やスタッフ研修などの講師としても活躍されている、すてきな女性のかたでした。

「歯科医院が今こそ求められるクライアント(患者様)への対応」という

テーマで1時間という短い講演でしたが、なかなか得るところが多い講演でした。

講演の中で、その先生は、本当の意味でのHospitalityホスピタリティーを考えると

患者さんの目線に立ち、患者さんの心理、ときには感情を知ることが重要であると

話されていました。

そして、そのために最初の3分間じっくり相手の言葉に耳を傾けることが

信頼関係を、築いていく上で大切であるということを強調されていました。

hospitalityホスピタリティーという言葉が、強く印象に残り、気になったので、

学会が終って帰宅し、その意味や派生語など、辞書を開いて調べていました。

『hospitalityホスピタリティー=もてなすこと、歓迎、受容性か、

最近、もてなしの精神が大事だといわれているよな~』

「あなた、このソファーどう思う?」

妻が、家具のカタログを見ながら、しゃべりかけてきた。

『hospice=ホスピス 末期患者の看護療養施設、宿泊所、

ふ~ん、hospitalityホスピタリティーの派生語か

末期の患者さんだから、温かい、もてなしが必要だよな、』

「これ、デザインがおしゃれと思わない?」

『hospitalホスピタル=病院、(貧困者、老人のための)収容所。これは、病気になった人を

治療したり、看護したりするところだから、ホスピスと同様hospitalityの派生語だな、

う~ん、なるほど』

「この色、とても素敵でいいと思わない」

『hostホスト=(お客をもてなす)主人、旅館の主人、当然hospitalityの派生語でしょ、

ひごろ旦那さんにもてなされない奥さんたちが、こっそりホストクラブに通うと週刊誌に

かいてあったな~』

「聞いてるの?」

妻のいうことも上の空で、ろくろく、見もせず返事をかえした。

「うん、いいんじゃない」

『hostessホステス=(お客をもてなす)女主人、旅館の女将、これもhospitalityの

派生語、結婚前は、たまにカワイイホステスさんのいる飲み屋さんにいったな~」

「ちょっと、いいかげんにして、聞いているの、何を聞いても上の空で・・・・」

『hostilityホスティラティー=敵意、反感、敵・・・これは派生語ではないよな』

ふと、妻をみると敵意のある眼差しで、

睨んでいるではありませんか!

そう、女性講師の先生が言ったように、

(たとえ、夫婦であっても)

会話をはじめて3分間はじっくり相手のいうことに、

耳をかたむけることが大切であると。

でないと、hospitalityホスピタリティーが

hostilityホスティラティーに変わってしまうおそれがあります。

皆さん! 添田歯科では、スタッフ一同、

hospitalityホスピタリティーということに視点をおいて

来院していただいたかたに、気持ちよく治療を受けて頂けるよう

頑張っていきたいと考えています、よろしくお願いいたします。

医療法人 添田歯科診療所 院長 添田義博

PostHeaderIcon 添田院長ブログ Vol.62 「もみじ」

 

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「もみじ」

 

紅葉の季節といえば、もみじが思い浮かびます。

「晩秋」という季節に紅葉し散っていく事から

人の人生を四季にたとえた場合、人生の晩年を

表わす象徴としても使われます。

もみじマーク

高齢者が自動車に貼る「もみじマーク」が

その代表的なものでしょう。

秋を有終の美で飾り、はらはらと散ってゆく色づいた

もみじの葉を見ると、冬の足音が聞こえてくるようで

ほのかな寂寥感を覚えます。

そして散りゆく「もみじの葉」は、

良寛さんの辞世の句を思い出させてくれます。

「うらを見せ おもてを見せて 散るもみじ」

私のような凡人は、俳句の嗜みはありませんし、後世に名を残す名僧で

歌人でもある良寛さんが人生の最期に、この句を詠んだ時の心境は到底わかりません。

あくまでも個人的な感想ですが、人生の酸いも甘いも知りつくし出家し、

おもてもよし うらもまたよし 生きるのもよし そして死ぬのもよし。

最期は、おもてにも うらにも こだわらない、その様な静寂な境地から

この句が出たのではないかと思います。

「あなた、靴下がうらおもて逆よ」

「あっ、お風呂マットうら向きになっている」

「ここに入れてた書類、うらがえしになってる。あなた触ったでしょ」

そうです、妻は結婚して年数が経つにつれて私が見せる、もろもろのうらの部分が

気になるようです。

それでも、おもてを見せ うらを見せてお互い仲良く年をとっていければと

考えています。(妻はどう思っているか知りませんが)

ところで皆さん 食後の歯磨きは、おもても うらも、

歯と歯の間、そして咬む面もしっかりと磨いて下さい。

そして半年に一度は、歯医者さんでお口のチェックを

受けられる事をお勧めします。

でないと いつの間にか、もみじの葉のように抜け落ちてしまうかもしれませんよ。

医療法人 添田歯科診療所 院長 添田義博

          

※良寛(りょうかん):俗名:山本栄蔵 号 大愚   

1758(宝暦8年)~1831(天保2年)江戸時代後期の曹洞宗の僧。歌人・漢詩人・書家                                    

※もみじマーク:シルバーマークとも言われる。正式には「高齢者運転者標識」と言って、

75才以上の高齢者は自動車につける事が義務付けられている

PostHeaderIcon 添田院長ブログ Vol.61 「いい歯の日」

 

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「いい歯の日」

   

「今日は、何の日か知ってる?」

夕食後、歯磨きをしていると、妻が尋ねてきた。

私 「11月8日? 結婚記念日は4月だし子供や家内の誕生日でもないし

   う~ん、家内にプロポーズした日、そんな日、もう覚えていないし・・・・」

妻 「わからない?11月22日は?」

私 「この前 旅行の広告で、いい夫婦の日特別ツアーってあったから

   いい夫婦の日だろ、うん、あ!11月8日、いい歯の日か」

私が大学を卒業し働きだしたころは、歯に関する記念日といえば、

虫歯予防デーの6月4日しかなく、「いい歯の日」などは、なかったように

思います。

インターネットで調べてみると、いい歯の日は今から25年前、

北海道の十勝、『故 林博道先生』が、一年に一度、

6月4日の虫歯予防デーだけでは、不十分で子供たちのように、

学校検診を受けることのない歯周病にかかっている大人や、

高齢者などを対象とした、歯科啓蒙活動、歯科検診をする

べきだと提唱され、語呂がいいので11月8日「いい歯の日」

として始まったそうです。

そして1993年に日本歯科医師会が

「11月8日=いい歯の日」として、正式制定したそうです。

お恥ずかしい話、歯科医師である私も、妻に言われて

思い出したようなもので、これからは、歯科医師としてそういった

啓蒙活動をし、患者さんのお口の健康を維持する、お役に立ちたいと思います。

「いい歯の日」特別企画として

ブログを読んで来院して頂いた方に限定で、

素敵な、歯のケアーグッズを

プレゼントいたします。(11月27日まで)

受付で、「いい歯の日の院長ブログ見ました」とおっしゃって下さいね。

     

医療法人 添田歯科診療所 院長 添田義博

PostHeaderIcon 添田院長ブログ Vol.60 「三じゅうコース」

  

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「三じゅうコース」

   

秋も深まり味覚を楽しませてくれる季節になると

昔の父の事を思い出します。

父は30代の働き盛りの頃、体重が100キロ以上もあり

よく太っていました。今で言えば完全にメタボですね。

 朝早くから夜遅くまでバリバリと仕事をこなしていて

日曜日も、技工の仕事などで時々出勤していました。

仕事もよくしていましたが、よく食べ・よく飲み・よく遊ぶ。

ストレスも多かったのか、タバコはピース缶を1日1缶は吸っていた様です。

当時は昼食を食べられない程 忙しい日が頻繁にあり、仕事が終わった後

昼食にありつけなかったスタッフ達を診療所近く(難波界隈)の食事処へ

夕食に連れて行ったようです。

 勤務していたスタッフの間では、この父の奢りの夕食は「三じゅうコース」として有名でした。

父が好んで行く店が「はりじゅう」「まるじゅう」「ぼてじゅう」とすべてに

「じゅう」が付き、1日2軒は必ずハシゴをしていました。

絶好調の時は3軒ハシゴをする事もあったので「三じゅうコース」という

名前がついたそうです。

私が大学を卒業し、父の診療所で働き始めた頃には、残念ながら3軒ハシゴをする

「三じゅうコース」はなく、一緒に行った事はありませんでした。

しかし秋の鍋物が恋しくなる頃、たった1度だけ「三じゅうコース」が復活した事がありました。

はりじゅう

「三じゅうコース」の最初は、すきやき・しゃぶしゃぶの

「はり重(はりじゅう)」です。

「はり重」は道頓堀橋のすぐ南の御堂筋東沿いにある老舗で、

私の診療所から歩いても5分とかからない所にあります。

まずここで「しゃぶしゃぶ」等を十分に堪能し、ビールやお酒も

じゃんじゃん飲んでお腹一杯、ほろ酔い加減。 

普通ならここでお開きになるのですが、「三じゅうコース」の

途中で帰るのは御法度のようで、当時のスタッフはお腹が

苦しくても父の機嫌を損ねてはいけないと思い?!

父について行った様です。

父は皆を引き連れて颯爽と「次に行くぞ!」と「⊕(まるじゅう)」へ。

まるじゅう

「⊕」は お寿司屋さんです。当時は「はり重」から目と鼻の先に

あり、同じ御堂筋沿いにありました。(現在は当時の場所から

少し離れた、御堂筋の西側一筋入った所にあります)

このお寿司屋さんは、昭和26年創業以来60年近く

南で看板を守っていて、桂米朝さんや桂春団治さん

等もよく通った、歴史のあるお店です。

さて「⊕」では、上にぎり・巻きずし・刺身に赤だし・茶碗蒸しに

お酒にビールと父が注文をし、テーブルの上はあっというまに

お寿司とお酒で溢れんばかりになります。

まるで大食い選手権のごとく、食べ物の洪水にさらされ

お腹一杯過ぎて、苦しそうな者や酔いがまわって ろれつのまわらない者・

ぼてぢゅう

もう眠り込んでいる者に向かって

父は再び「さあ、次い行くぞ!」と号令一声。

「三じゅうコース」最後の関門は「ぼてじゅう」です。

「ぼてじゅう」も戦後まもない昭和21年に創業した

大阪難波に本拠を構える、お好み焼きと焼きそばなどの老舗です。

そこでも、ビールにお酒・お好み焼きに焼きそば・モダン焼きなどを注文して

テーブルは粉ものとお酒で溢れます。

「もう苦しい~」

「もう食べられない」

「Z-Z-Z-」

スタッフの悲鳴をよそに、食べて・飲んで満足すると

「さあ、食べたか出るぞ!」

これで開きかと思いきや、まだ余力の残っていそうなもの2・3人に

「ちょっと、そこまで付き合え」と何処に行くのかと思うと

なんとコース締めくくりに「松屋」という立ち食いうどんの店に行き、

「月見うどん」か何かを注文します。

その後ようやくお開きになり、タクシーを拾い自宅まで帰るのですが、

帰ってから まだお茶漬けを食べる時もありました。

感心するのは、これ程 暴飲暴食しても次の日に仕事があれば

シャン!として、朝早く起きて誰よりも早く出勤していた事です。

 しかし不摂生が祟ったのか、私が父の診療所に勤務し始めて数年後、脳出血で倒れ、

救急車で運ばれて生死の境を彷徨いました。幸い九死に一生を得て後遺症もなく、

奇跡的に仕事に復帰しました。

それからは180度生活習慣が変わり、「健康オタク」と言えるぐらい

食べ物に気を使い、健康の本を読み漁っています。

大先生(父)

ベストセラーになった食事指導の健康本などを買ってきては、

「読むように」とよく勧められます。

 毎日欠かさず1~2時間歩いてもいて、同じ人間か?

と思う位です。

83歳になりましたが、顔色も良くすこぶる健康に過ごしています。

食欲の秋、ついつい食べ過ぎてしまいがちですが、父の姿を見ていると

「暴飲暴食は控え、腹八分目で旬の物を良く咬み・味わって食べる事が

健康の秘訣なのかな」と感じます。

皆さん!食事の後は忘れず歯磨きを。

歯の健康も大事ですぞ!

医療法人 ソエダ歯科診療所 院長 添田義博

PostHeaderIcon 添田院長ブログ Vol.59 「虫の声」

 

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「虫の声」

   

毎日、食後、家内と1時間ぐらい家の近くの公園を散歩するのですが

公園の中には、大きな池がありその周りを囲むように散歩道があります。

春には、多くの人が花見に訪れ、桜の名所として人気があります。

私は、桜の時期も嫌いではないのですが、どちらかというと、

虫たちが恋の歌を奏でる秋のほうが好きです。

池の水面に映った月を見ながら、秋の虫の声を聞き

家内と散歩ができることに、何だか幸せを感じます。

(家内はどう思っているかわりませんが?)

ところで、

虫の声を聞くと、昔、聞いた 「虫の声」という童謡を思い出します。

♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪

 
あれ、松虫が鳴いている

ちんちろちんちろ ちんちろりん

あれ、鈴虫も鳴きだした

りんりんりんりん りいんりん

秋の夜長を 鳴き通す

ああおもしろい 虫の声

♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪

虫たちが、鳴くのは、ほとんどが、パートナーを見つけ

子孫を残すための求愛行動だそうです。

まあ、人間で言えば婚活ですね。

彼らのほとんどは、越冬せずに、死を迎えるそうですが、

残り短い命を知ってか知らずか、秋の夜長を一生懸命、

鳴いている虫たちに、何だか、愛おしさを感じます

私も、秋の虫が、一生懸命鳴くが如く、

一生懸命、歯科医師として仕事をすることが

与えられた天命だと感じます。

医療法人 添田歯科診療所 院長 添田義博

PostHeaderIcon 添田院長ブログ Vol. 58 「甘い Sweet」

 

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「甘い Sweet」

   

「だいたい あなたが甘すぎるのよ。夜遅くまでネットで

スイカなんとかか知らないけど、毎朝 遅刻すれすれで家をでるのよ!」

「スイカじゃなくて、スカイプやろ。

まあ大学生になったばかりだし、 ちょっと気が緩んでるんだろ。

怒ってもしかたがないと思うよ」

「また そんな甘いこと。あなたが甘い顔をするから、つけ上がるのよ。

だいだいあの子の考えは甘いから、たまにはガッツンと怒って

父親の威厳をみせないと」

先日 妻からこの春 大学生になった娘の事で、辛口の言葉を浴びせらました。

甘すぎる・甘いこと・甘い顔・考えが甘い

「甘い」という言葉は日本では多くの場合、ネガティヴな意味で

使われる事が多いようです。

「甘い」を英語に直訳すれば「sweet」になります。

この「sweet」ですが

she is sweet       彼女は優しい

sweet music       心地よい音楽

my sweeet             わたしの愛しい人

などのように日本の甘いと違って、欧米ではポジティヴな意味で

使われる事が多いようです。

私が時々見る、NHK の「トラッドジャパン」という

日本の文化を英語で紹介する番組があります。

西洋と日本の砂糖の文化の違いが

sweet =「甘い」の使われ方の違いが理由だと解説していました。

砂糖の歴史について簡単に調べてみました。

西洋では十字軍の遠征とともに中東から砂糖がもたらされ、次第に広まりました。

イギリスでは16世紀の中頃に、世界初の製糖工場が造られています。

16世紀のイギリスでは、紅茶に砂糖を入れて飲む人が増えた為、

虫歯になる人が増えたという記録もあります。

日本で最初に砂糖がもたらされたのは、8世紀中頃です。

(754年唐から鑑真和尚によってもたらされ記録が残っているそうです)

この頃の砂糖は大変な貴重品で、あくまで貴族など ごく一部の特権階級にしか

手に入らなかったようです。

日本で庶民レベルまで普及し始めたのは日清戦争の勝利以降、

台湾に近代的な製糖工場が造られた20世紀初頭からの事です。

砂糖が庶民にまで普及し文化として根付いてきた西洋と、庶民に普及して

歴史の浅い日本では、甘い・sweetの言葉の使われ方がネガティブとポジティブな

違いができた事に「なるほど」と感じました。

ところで英語のイディオムで「Have a sweet tooth 」という表現があります。

これは「甘党である、甘いものに目がない」という意味です。

甘いものに目がない甘党の方、どんなにたくさん甘いものを食べても

その後の歯磨きは忘れずに。

そして半年に一度は歯医者さんで

お口のチェックをしてもらった方がいいですよ!

医療法人 添田歯科診療所 院長 添田義博

PostHeaderIcon 院長ブログ Vol. 57 「三途の川」

 
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「三途の川」

もう二十年以上前になりますが、父が脳溢血(小脳出血)で倒れました。

緊急入院し、 二~三日予断を許さない状態になり「最悪の場合、

死も覚悟して下さい。そして、もし命が助かっても身体に麻痺など、

重い障害が残って、今後、仕事はできない可能性が高い」ということを

担当の医師に、宣告されたことを今でも、はっきり覚えています。

父は昔から強運の持ち主です。

大先生(父)

戦争中、海軍の志願兵として、呉の軍港にいたのですが

辞令で横須賀に移動したとたん、呉の軍港が

アメリカ軍の爆撃を受けて壊滅状態になったり

戦後、肺結核を患ったときに、運良く、結核の特効薬

ストレプトマイシンが安価で手に入るようになり

劇的に結核から回復したり、いろいろ窮地を乗り越えて、生き抜いてきたそうです。

倒れた時も、出血がほんの少しでも多ければ、命はなかったといわれています。

奇跡的にカムバックをはたし、1週間するかしない内に、歩かないと身体が鈍るといって、

病院の中を歩き回り、医師に言われたような、後遺症もまったく見られず、

三ヶ月ぐらいで仕事に復帰しました。

話が長くなりましたが、その父が倒れる半年ぐらい前に、とても不吉な夢をみたそうです。

その夢というのが・・・・・

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三途の川でたくさんの亡者が小高い丘を登っていて、父も亡者の列について、

その丘を登っていったそうです。

丘を登ると、大きな川が流れていて、川の畔で、亡者達が川を渡る順番を待っていました。

父も、その順番を待っていたそうですが、丘の下から、男が息せき切って走ってきて

父の後ろまでやってきました。

その男は、父の知りあいだったようで、何やら、とても急いでいるようなので、

先に渡る権利を譲ってあげたそうです。そして、男は急いで川を渡っていきました。

川の半ばを過ぎたとき、空から蔦でできた鳥かごのようなものが降りてきて、父はその中に

閉じ込められ、元着た川の畔へ戻されてしまったそうです。

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そこで、目が覚めたそうですが、あまりにも

気持ちが悪い夢だったので、鮮明に覚えているとのことでした。

夢には何か、必ず意味があり、それは、未来に起こることの

予言のようなものであることが多いといいます。

実際、夢で川を先に渡る権利を譲った知りあいの男性は、

父が倒れる二、三ヶ月前に、急病で亡くなりました。

父は、この川は三途の川で、川の途中で引き戻されたことは

奇跡的に死の淵から蘇ることを意味していたと、強く信じています。

さて、三途の川は、皆さんご存知のようにこの世とあの世を隔てる大きな川です。

三途というのは、三つの道を意味し、この世からあの世に渡るのに

三通りの道があるそうです。三途の川をストーリーで説明したいと思います。

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たくさんの亡者たちが、うすら寒く、霧が立ちこめる

三途の川

三途の川の畔に列をなしている。

川の畔には、衣領樹(えりょうじゅ)といわれる

大きな木が立っていて

木の下には、奪衣婆(だつえば)

木の上には、懸衣翁(けんえおう)がいて、

亡者がやってくるのを待ち構えている。

奪衣婆は字のごとく木の下にやって来た、

亡者の衣を奪い取り、懸衣翁は、奪衣婆が

奪い取った服を衣領樹の枝に懸ける。

それが彼らの役目である。

衣領樹の下に、スーツをきた貫禄のある

初老の男性がやって来た。

(この男は、死んでもう名前がないので亡者Aとしておく)

奪衣婆「おい、おまえ、着ている服を脱げ!」

亡者A「私が服を、失礼な、君、この議員バッジが見えんかね、私は、運輸大臣、

     大蔵大臣、そして内閣官房長官まで勤めたんじゃぞ、早くそこを通せ!」

奪衣婆「バカヤロー!、ここではホームレスも大臣も関係ない、ツベコベいわず、早く、服を脱げ

     脱がぬのなら、剥ぎ取ってやるぞ」

亡者Aは、奪衣婆の怒りの形相と剣幕に逃げ出そうとしたが、すぐに捕まり、

服を剥ぎ取られた。奪衣婆は、剥ぎ取った服を木の上にいる、懸衣翁に放り投げた。

奪衣婆坐像                                牛久市指定文化財

奪衣婆「爺!こいつの服を、枝に懸けてくんろ」

懸衣翁「あいや~」

不思議なことに、懸衣翁が服を懸けた木の枝は

その服の重さで地面につかんばかりにしなった。

衣領樹は、亡者の生前の罪業に反応し、

亡者の服を枝にかけると、罪業が多い程、

枝がしなり地面につきそうになるのである。

懸衣翁「そいつは、官房長官か何だか知らんが、生前は、汚職で私腹を肥やしたり、

     国の税金であちこち海外旅行をしたり、秘書を自殺に追い込んだり、悪行の数々を

     やってきて知らぬが仏と全て人の責任にしてのうのうと生きてきよったぞ」

奪衣婆「やはりの~、お前は三途の川の強深瀬(川の深いところ)いきじゃ!

     川を渡れば、閻魔様がお前の行いの裁きを待たれておるぞ、ふぇ、ふぇ、ふぇ」

そう言うと、どこからともなく鬼が現れ亡者を、強深瀬へ連れてゆき、蹴落とした。

亡者A「うわ~、溺れる、君たち金ならいくらでもやる、助けてくれ!ゴボッ、ゴボッ」

強深瀬は、亡者たちの足がつかない深さで

流れが急で、しかも、絶え間なく流木や大きな岩が、転がってきて亡者たちを襲うのである。

また、川底には猛毒をもつ水蛇(大蛇ともいわれる)がいて、溺れて川底に沈んできた

亡者たちに、容赦なく噛みつくのである。

亡者たちは、幾日も耐えがたい苦しみに苛まされながら、あの世の畔にたどりつくのである。

さて、次に一流ブランドの服で着飾った女性が衣領樹の下にやって来た。

(女は死んで名前がないので亡者Bとしておく)

奪衣婆「おい女、着ている服を脱げ」

亡者B「え?、何ですって、これ、シャネルのオートクチュールなのよ!

    脱ぐなんてできませんわ」

奪衣婆「ばかやろう!お前らの着ている服は皆同じじゃ、脱がぬのなら、

     ワシが剥ぎ取ってやる」

ビリビリ、バリバリ、ビリビリ、バリ

懸衣翁                    (土佐光信画)

亡者B「あれ~。私のシャネルが、堪忍してくだい」

奪衣婆は、亡者から剥ぎ取った服を

懸衣翁へ放りなげながら言った

「爺!こいつのはどうじゃ!」

懸衣翁 「あいや! 」

爺が枝に、亡者の服を懸けると枝が少しなった

懸衣翁 「ふ~ん、こやつは、ちょいワル女じゃ

ダンナのへそくりをブランド品などにこっそり使い込んだり、ダンナに

ろくなものも食わせず、召使いのようにこき使ったりしたが、それほどの悪人でもなさそうじゃ」

奪衣婆「ほんじゃ、おまえは浅水河じゃ」

亡者B「私のシャネル!、返して~!、ああ~!、くしゅん」

亡者は、鬼に導かれ浅水河へ。

浅水河は、生前の罪業が比較的軽い亡者が渡るとされる道で

川の流れも急ではなく、川の深さは膝ぐらいで

時々流れに足をとられそうになるが、それほどの苦もなく、渡ることができるのである。

また次に、汚い格好をしたよぼよぼの爺さんが足を引き摺りながらやってきた。

(爺さんは、死んで名前がないので亡者Cとしておく)

奪衣婆「そこのじいさん、服を脱ぎな」

亡者C「へえ、すいまへん汚い服で、ご迷惑かけますだ」

奪衣婆「爺、この服を枝に懸けてくんろ」

懸衣翁 「あいや! 」

爺が枝に、亡者の服を懸けても枝はしならずそのままである

懸衣翁「この爺さんは、まじめに働いてためた金を人に騙されて失い、

     ホームレスに身を落としたが、ホームレスになっても、小銭をためて

     身体に障害がある者の面倒を一所懸命看ておったぞ」

奪衣婆「見上げた奴じゃ、おまえは、有橋渡(うきょうと)をいくがよい、

     きっと、あの世では良いことがまっているぞよ」

亡者C「ありがとうごぜぇます」

有橋渡は、善人が通る道(金銀財宝で飾られた橋ともいわれる)で楽に

あの世に渡れるとされる。

昔、棺桶に、死者の三途の川の渡り賃(冥銭ともいわれる)として六文銭を

入れる風習があった。

この渡り賃により、死者は楽に三途の川を楽に渡ることができるという言い伝えがあり

現在でも、紙などで六文銭に模したものを棺に入れる風習があるところもある。

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さて、この三途の川のストーリは仏典や、民間伝承などを参考に、私が創作したものです。

実際は亡者たちは白い同じ死に装束をきているようです。

余談ですが、三途の川を渡らず、あの世にいく方法が二つあるそうです。

一つは、お釈迦様や、悟りを開いた聖人で、死後、直接、極楽浄土に行くと云われています。

もう一つは、極悪人で、死後、直接、地獄に落ちると云われています。

私自身、三途の川を見たことも、また、渡ったこともありません。

また、あるかどうかもわかりません。

もし、あるとすれば、スタッフとともに、患者さんに喜ばれる治療をして

死んだ後は、三途の川を橋を通って渡りたいものです。

    

医療法人 添田歯科診療所 院長 添田義博

 

※参考画像⇒懸衣翁 Wikipedea

PostHeaderIcon 院長ブログ Vol.56 「 〇 ▽ ☐ X ☺」

 

——————————————————————院長ブログ

「○ ▽ □ ×  

  

 歯科医:「では今日は、前回に型をとった入れ歯のフレームができているので、

      咬み合わせの高さを決めますね。

      はい、そっと咬んで下さい。唾を飲み込んで、そのままにしてて下さい。

      はい、咬み合わせの高さが決まりましたので、30~40分

      お時間を頂ける様でしたら、前の歯を並べてみます。

      洋服の仮縫いのような行程ですが、歯の大きさや色・形で

      特にご希望はありますか?」

患者様:「わかりませんわ…先生にお任せしますから、いいようにして下さい。」

     

う~ん。。。そう言われると迷ってしまうのである。

いろいろな、サイズ・形・色の人工歯が入ったケースを持ってきて

どれが似合うかな?わからないな。

わからない時は『♪どれにしようかな、神様のいう通りアップップのプ♪』。。。

いやいや、決してそんな でたらめな選び方はしません。

患者さん1人1人の顔に合った人工の歯を選びます。

一般的に人の前歯(中切歯)は、顔の形に相似形と言われています。

基本的に人の顔の形は、○ ▽ □の3つに分類する事ができます。

(もちろん4つや5つ,7つに分類する方法など様々な分類方法があります) 

丸顔

〇:丸顔の人は、丸い形の歯(Ovoid卵型)

☐:四角い顔の人は、四角い形の歯(Square方型)

▽:三角形の顔の人は、三角形の歯(Tapering 尖型)

を選び、顎の大きさや患者さんの希望なども考慮して歯の

大きさや色も決めます。

四角顔

ケースによっては、若い時の笑って歯が見えている状態の写真を

見せて頂くケースもあります。

こうして使用する人工歯が決まれば、技工士さんに患者さんの

要望を伝えて、義歯の前歯を排列(並べること)してもらいます。

排列の出来上がった義歯を患者さんの口の中に入れて、

三角形の顔

色や形・歯の出具合・見え方・歯の並び、唇や頬の膨らみ

具合などを鏡で見て頂き、再びご希望を聞いて手直しが

必要であればすぐに手直しをします。

この工程では人工歯は、ワックス(ろうそくのロウと似たような材質)

の上に並べられていて熱を少し加えると、出したり引っこめたり

クリックで大きくなります

自由に動かす事が可能です。

私の診療所では、この工程で特に時間をかけます。

1時間、長い場合は2時間位。回数も2~3回かける事も

あります。多い場合には5・6回という事も。

何度も手直しを加え、患者さんが納得して気に入って

頂けるまで修正を繰り返します。

時には人工歯を並べての試適(仮縫いの工程)で

OKがでて、完成した後からでも、患者さんの希望で歯を

並べ替える事もあります。

これだけ時間をかけるのは、患者さんに気に入って頂けない義歯は×であり、

義歯が単なる人工物ではなく、身体の一部となり機能的にも審美的にも満足して

使用して頂きたいと考えるからです。

「歯は口元を変え、口元は顔を変え、顔は心を変える 」

これは20数年前 大学を卒業して間もない頃、義歯の大家の先生に

教えて頂いた言葉です。

患者さんの人工歯を選び歯を並べる時、この大家の言葉を思い出し

「たとえ1本の歯を選ぶにも、いい加減な気持ちで選んではいけないな」と

ミニチュア入れ歯ストラップ

肝に銘じています。

 「ブログを読んだ!」と受付でおっしゃって頂くと、

先着30名様に、オリジナル入れ歯 携帯ストラップを

差し上げます。

    

     

医療法人 ソエダ歯科診療所 院長 添田義博

 

※参考画像:「臨床総義歯学」河邊清治著