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PostHeaderIcon 添田院長ブログ Vol.68 「日曜学校」

 

———————————————————-院長ブログ

「日曜学校」

   

私が、小学生になったばかりの頃は、堺の浅香山というところに住んでいました。

私の家は、キリスト教徒ではなく、どちらかというと宗教的なことにあまり関心のない家庭

(一応、家の宗派は浄土真宗です)だったのですが、その頃、どういうわけか

『日曜学校』なるものに、しばらく通って・・・いや、通わされていました。

当時の休日は、母親にデパートでのショッピングに連れて行かれることが、

よくあったのですが、すぐ、どこかに隠れて、わざと迷子になり、陰からかくれんぼ

のような感じで、母親たちが探し回るのを面白がって見ていたことが、何度かあったそうで

(あまり、そのことについては、はっきり覚えていないのですが母親からすると、

タチの悪い子供だったようです)とうとう母親が怒って、

「すぐ、迷子になって、あんたなんか、もう二度とデパートに連れて行かないからね」

と、叱られたことが、ぼんやりと記憶に残っています

母親も、そんな私を持て余し、日曜学校に通わせたのかもしれません。

さて、日曜学校は、家から歩いて4,5分ぐらいのところにあり

小さなプレハブの工事現場などで見られるような建物でした。

日曜学校に行くとまず、最初に教会の神父さん?らしき人の

あいさつがあり、讃美歌を歌ってキリスト教に関する、お話がありました。

お話が終わると、出席カードにシールを貼ってもらい

最後が、おやつタイムでした。

ずいぶん昔のことなので、神父さんがどんなかただったか、また

どんな話をされたかは、お覚えてはいないのですが、

たしかクリスマス会の時に聞いた、アフリカの首刈り族の話だけは

不思議に、記憶に残っています。

                   

アフリカのある国に、西欧の国から、熱心な宣教師が布教活動にきていて

ジャングルの奥地にある、ある部族に布教を行っていたそうです。

その部族では、毎月、部族が神に祈りをささげる祭の日に、部族外の人間を殺して、

首を刈り、生贄として神に捧げる首刈りの風習があったそうです。

宣教師は、「人を殺して、その首を生贄に捧げる」という、恐ろしく、

罪深い行いをすぐにやめて、悔い改め、キリスト教を信じるように、

部族の族長の息子に、毎日、熱心にキリストの教えを説きました。

そうした甲斐があって、族長の息子は洗礼を受け、キリスト教の

信者になりました。

彼は、父である族長を説得しますが、族長は、頑なに生贄を中止することを拒みます。

そのうち、祭の日が迫ってきました。

祭の数日前から、村の男たちは、生贄を求め走り回りますが、生贄となる人間が

全く見つかりません。村の長老会議で、どうするか協議します。

生贄が見つからなければ、村から誰か生贄を選ばなければなりません。

あれこれ議論した後、祭の前日までに生贄が見つからなければ、

やむを得ないが、村に来ている宣教師を生贄とするという

決定がなされました。

祭の前日になっても生贄は、依然見つかりません。

夕闇が迫るなか、族長を頭に、村の男たちは生贄を求め

隣村との境界近くの森の小道で、待ち伏せをしていました。

すると、薄暗い中、松明を持ち、マントのようなもので

顔を覆った、男がゆっくりと歩いて来ました。

男たちは、毒矢つがえ、生贄となるものが、毒矢の射程に入るまで

息をひそめて待ちます。

「ビュッ」鋭い音のあと、「ギャッ」という声がしました。

村の男たちは、「やった!」と背中に矢がささり、ひっくり返り、呻いている男に

近づき、首を刈るため、顔を覆っている。マントをはぎ取りました。

何と、その男は、族長の息子でした。

族長の息子は毒が全身に回り、死を目前にし、最後の力を振り絞り

族長に、生贄をやめることを訴えました。

自分の師である宣教師が、生贄にされることを耳にした息子は、

自分に生贄なることで、宣教師を救い、また、父である族長に死を賭して

首刈りの悪習を止めさせようと身代りになったのでした。

族長は、深い悲しみと、息子の願いを聞き入れてやれなかった後悔で、

邪教の信仰を捨て、キリスト教の洗礼を受けました。

その部族のすべての人間も族長に倣い、キリスト教の

洗礼を受けました。

自己犠牲のもとに、宣教師は、自分を救い部族の悪習を

止めさせた族長の息子に、人々の罪を購うため、十字架に架かった

キリストの姿を感じ、深い感銘を覚えこの話を自分の国に帰り、人々に伝えました。

                   

  

インプラントの手術が終わって、少し遅めの昼食を昼食を一口、二口と、口にしたとき

「先生、患者さんが予定よりも早くこられました」

スタッフが声をかけてきました。

食べかけの昼食を、そのままに、その患者さんの治療へ。

治療を終え、昼食を再開すると、別のスタッフが、呼びに来ました。

「予約外ですが、義歯の調整の患者さんがこられています、少し急がれているようです」

「ちょっと待って、もらって」

『いや、いけない・・・昼食の途中で、少々お腹がすいていても、そんなことぐらい』

「いや、すぐ行くから」

そんな時は、あのアフリカの首刈り族を思い出し、自分を戒めることがあります。

医療法人 添田歯科診療所 院長 添田義博

   

※この話は、40数年前、日曜学校で聞いた牧師さんの、お話を自分の中にある

イメージを増幅させ、多少、脚色して書きました。

オリジナルのストーリーとは、幾分違っているかもしれません。

日曜学校の関係のかたで、オリジナルのストーリーをご存知のかたに、おことわり申し上げます

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