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PostHeaderIcon 院長ブログ Vol.21 「修羅場」

 

————————————————————-  院長ブログ 

「修羅場」 

血みどろの激しい戦いが行われている場所 

またそのような場所を想像させるような凄惨な事件、 

事故現場などを、よく修羅場と呼びます。 

また、江戸時代、歌舞伎、浄瑠璃など古典芸能で 

男女間の激しいやりとりの場面を「修羅場」と呼ぶように 

なったことで「夫の浮気が発覚した時、円満な家庭は 

俄に修羅場と化した」などと、男女関係のもめごと等でも 

使われるようです。(幸いな事に、妻の目が逆三角形になり、 

口から炎のような言葉が飛んでくることはあっても、家庭が 

修羅場と化したことはありません、ホント) 

     

阿修羅

さて、修羅場は、もともと仏教あるいはインド神話の伝承で、 

帝釈天と阿修羅との争いが行われた場所のことだそうです。 

帝釈天というとアラフィー、アラ還以上の皆さんは、 

「男はつらいよ」の主人公、風天の寅さんを思い浮かるかも 

しれませんが、帝釈天は忉利天という天界の王で、力を司る 

神といわれています。 

また阿修羅は、魔神あるいは悪鬼神といわれ、三面六臂 

(三つ顔と六本の腕)の独特の姿は、仏像の中でも最も 

人気のある一つではないかと思います。 

    

さて、もともと阿修羅は、帝釈天同様、天に住む神で正義を司っていたと云われています。 

阿修羅には舎脂(シャチー)という美しい娘がいていずれ天界の盟主である帝釈天に 

嫁がせたいと考えていました。 

しかし、帝釈天は力づくで舎脂を連れ去り、無理矢理手篭めにしてしまいました。 

それを知った阿修羅は、いくら娘を嫁がせたいと思っていた 

帝釈天

帝釈天であっても、その理不尽なやり方に激怒し、

戦いを挑むことになりました。 

いざ戦いとなると、力の差は明らかで、天界の王たる

帝釈天は配下の四天王、三十三天などの神の軍勢を付き従え、 

悪圧倒的な力でいつも阿修羅の軍勢を、蹴散らしていました。 

ところが、ある日、いつになく帝釈天側の形勢が悪く、

怒濤の ように攻めこんでくる阿修羅の軍勢になす術もなく

退却を繰り返していました。 

その時、突然、帝釈天の軍勢が方向転換し、阿修羅の軍勢に攻め返していきました。 

不可思議な帝釈天の行動に、何か罠があると思い、阿修羅の軍勢は恐れをなして 

逃げていったとされています。 

帝釈天の不可思議な行動は、深い慈悲からでたもので、彼の退路に蟻が行列を 

つくって歩いていた(一説によると鳥の雛が、巣で鳴いていた)ため 

このまま、退却すれば、何の関係もない蟻を巻き込んで踏み殺してしまうと考え、 

このような行 動に出たという話が仏典に残っています。 

この話を聞けば、なぜ阿修羅が魔神になり、帝釈天が天の神なのか? 

不思議に思う皆さんも多いとのではないでしょうか? 

誰が考えても、阿修羅のほうに正義があり、力づくで娘を連れ去り、手篭めにした

帝釈天の ほうに非があるのは当然で、神の世界ならずとも人間の世界でも、 

そういうことをすれば、厳しい法の裁きを受け、刑務所行きは免れないでしょう。 

また自分の娘をそういう目に遭わされれば、激怒し報復を望むのは当然でしょう。 

しかし阿修羅が魔神たる所以は、一説によると連れ去られた 

娘の舎脂が帝釈天に惚れてしまい、また帝釈天も自分の非を詫び、 

舎脂を正式に夫人に迎え仲睦まじく暮らしはじめたにもかかわらず 

阿修羅は、自分の正義に固執し執拗に闘争をいどみ 

相手を赦す心を失ってしまったためと云われています。 

この帝釈天と阿修羅の話は正しいことでも、それに固執し続け相手、 

周囲に対して慈悲の気持ちを忘れ、怒りを持ち続けると知らないうちに、 

正しい道を外れてしまうという、教訓のように感じます。 

     

我々のところには、時々歯医者院恐怖症と思われるかたが来院されます。 

恐怖から何度も治療を中断してしまう患者さんに、一生懸命正しいと思われる 

治療を行っているがゆえ、ついついイラッとし 

阿修羅のような顔になってしまうことがありますが 

その方たちにとって、我々歯科医は、注射・抜歯器具・ドリルなど 

恐ろしい道具を手にし、恐ろしい顔をした悪鬼で 

治療するチェアーの上を修羅場のように 

感じられているにちがいないわけで、 

そう、修羅場の阿修羅に顔になりそうになったら 

そういったときは、修羅場の蟻のことを思い出し 

患者さんに、優しい言葉をかけるようにしています。 

 医療法人 添田歯科診療所 院長 添田義博

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