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PostHeaderIcon 院長ブログ Vol.6 「吾唯足知」

  

———————————————————– 院長ブログ

「吾唯足知」

   

先日、家族で京都に行ったとき、龍安寺に立ち寄ってみました。

龍安寺は、世界遺産にも登録されていて、

1450年、足利幕府の管領職にあった細川勝元により

創建された禅寺と云われています。

重厚な山門をくぐり、綻びかけた、つぼみ桜が美しい静かな庭園を

眺めながら、参道を登っていくと、方丈(本堂のこと)が姿を現します。

枯山水の石庭

履物を脱いで、中に入っていくとすぐ、美しい

枯山水の石庭{写真}が目に飛び込んできました。

そこで暫し、禅僧の気分で石庭の眺めを楽しんだ後、

裏手にまわると、茶室(蔵六庵)の露地に、

銭形の蹲踞(つくばい){写真}がありました。

この蹲踞は、水戸黄門で有名な徳川光圀侯から

銭形の蹲踞(つくばい)

寄進されたと云われ、銭形の文字は、中央の口と

まわりの4文字の漢字を組合わせ、上から時計周りに

読むと吾唯足知(吾れ唯だ足ることを知る)

と読めます。(上の銭形の図)

これは、禅宗の格言で仏遺教経(お釈迦さまの遺言の

お経)の中にある「知者の者は賤しといえども富めり」

「不知者の者は富めりといえども賤し」という教えから取ったと云われています。

私は、この吾唯足知の4文字の中に、足ることを知ることが、本当の幸せで

足ることを知ることにより、他者にたいしても、自分にたいしても自ずと感謝の気持ちが

湧き起こり、「負け組、勝ち組」、「少ない、多い」「優れた、劣った」「きたない、きれい」

「古い、新しい」など、世の中に氾濫している観念に振りまわされず、心安らかに生きて

いくことができるという意味が込められているように感じました。

しかしながら、物が溢れ、お金があれば何でも手に入る風潮の世の中に

あって、この、教えを実践するのは、本当に難しい・・・

   

とここまで書いていると「何やっているの?」と妻が、

お茶を啜りながら茶々入にやって来た。

 「ブログ、診療所の」

私を押しのけ、未完成のブログを読みながら、

 「吾唯足知・・・ 世の中に氾濫している観念に振りまわされず・・・

   何だか、小難しいこと書いて、カタイし、つまらないし、誰も読まないし、

   もし読んでも、変な宗教にハマってると思われるよ」

と手厳しい言葉が飛んできた。

 「でも、ウサギ編集長ならうまく編集して俺の良さを引きしてくれるよ」

 「でも、ウサギ編集長(岡本さん)は、あなたの診療所のスタッフだし、

   賢い人だから、絶対にあなたの書いたこと、けなさないわよ」

 「でもね・・・」

私は、口を閉ざしてしまった。

    

しかし、私はとにかく満足している、毎日三度ご飯が食べることができ

住む家もあり、仕事もあり、一生懸命働いてくるスタッフもいる

そして、私の診療所に来て下さる患者さんがいる感謝、感謝です。

感謝感謝

そして、厳しい言葉を浴びせかけてくれる妻にも、満足している

厳しい言葉を浴びせても、毎日ご飯をつくってくれ

子供の世話も一生懸命している(ココも読んで頂戴、私の奥様)

唯、足ることを知ることは時として忍耐がともない

私は、妻の厳しい言葉に太刀打ちできる、言葉が足りないと感じて

しまうのであります。

   

医療法人 添田歯科診療所 院長 添田義博

             

※ 蹲踞(つくばい):蹲踞とは茶室の庭先にある石の手水鉢(ちょうずばち)のことで、

この手水鉢が低く据えてあって、茶客が手を洗うのに、つくばうから、蹲踞と言うように

な ったそうです。

「知者の者は賤しといえども富めり」 「不知者の者は富めりといえども賤し」

私になりに解釈してみると「足ることを知っている者は、たとえ貧しくても心が豊かで

幸福であり」「足ることを知らないも者は、たとえ裕福でも心が貧しく不幸である」という

意味になるでしょうか。

※ウサギ編集長については「院長ブログVol.4」まで

 

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