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PostHeaderIcon 添田院長ブログ Vol.78 「豆まき」

  

————————————————————院長ブログ 

「豆まき」 

   

毎年、節分になると スーパーやコンビニで、 

紙の鬼の面がついた豆が売られているのを目にします。 

この日は、小さいお子さんを持つ、世の多くのお父さんたちが、 

仕事から帰って、寛ぐ暇もなく鬼の面を被り豆を、嫁や子供に

投げつけられ、 家から追い出される悪役に変身させられるの

かと思うと、ご苦労様と頭が下がります。 

(私 も、20年近く前に、世の善良なお父さんよろしく、

鬼の面を被り豆を投げつけられる 役をしたことを思い出します) 

さて、この節分の豆まきはですが、その起源は古く、奈良時代に

「追儺(ついな)」と いう矢で鬼をはらう中国の風習が、日本に伝わり

平安時代に宮中の年中行事として、行なわれるようになったそうです。 

そして、室町時代に、矢で鬼を追い払うのが、現在のように鬼に

向かって炒った豆を投げつける風習に、変わったそうです。 

豆をまくときは、普通「鬼は外、福は内」と掛け声かけますが 

「鬼塚」、「鬼頭」など、鬼の名のつく地名の地域や家庭は 

「鬼は内(鬼も内)、福は内」と掛け声をかけるところもあるそうです。 

そして「鬼嫁」のいるところも、当然「鬼は内...」と掛け声をかけるのですが、 

私のところは、内か?外か?皆様の想像にお任せしますが・・・・・・ 

 「何、内とか外とかブツブツと変な人ね」 

こういうとき、いつもタイミング悪く、いや、良く家内は私のそばにやってくるのであります。 

「いやいや、勿論 外ですよね、そう、外、外、はははは、はは~」

冗談はさておき、 私は、節分の豆まきというと吉祥天と黒闇天のはなしを思い出します。 

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昔、昔、ある村のはずれのボロ家に 一人の男が住んでいました。 

男は、大変、貧しく、その日、その日の食べるものにも困るありさまでした。 

男は、いつも、幸福になりたい、家に福の神がきてお金持ちになって、 

嫁を娶りたいと思い毎日、近くの寺の観音様にお祈りをしていました。 

ある晩のことです。 

男が、家で藁を撚って縄を作っているとトントンと戸をたたく音がします。 

『こんな夜に、わしのところになど誰も来るわけないし風のせいで戸が鳴ったんだろ』 

男は、そう思いました。すると、また、トントンと戸をたたく音がします。 

『誰じゃろう、盗人か、盗人が来ても、盗るものなど一つもないし』 

男は、不審に思って戸を開けてみた。すると、そこには神々しい光と 

芳しい匂いにつつまれたこの世のものとも思われない、美しい女性が立っていた。 

 「も、もしや貴方様は、ふ、ふ、福の神!」 

吉祥天 「薬師寺蔵」

男は、驚いていいました。 

 「私は吉祥天と申します。お前様のところに暫く、 

住まわせていただけますか」 

「むさくるしいところですが、どうぞ、どうぞ、お入りください」 

男はそう言って、大喜びで吉祥天を招き入れた。 

 『観音様は、わしの願いを聞いてくださった、もうこの貧乏 

暮らしともオサラバじゃよかった、よかった』 

そう思って、吉祥天に語りかけた。 

「どうか、暫くといわず、いつまでも、わしのところに居てください、 

どこにもいかねえでください」吉祥天が訪れてから、男は良いことずくめでした。 

 男の家の前で、苦しんでいる娘を助け、介抱してやると村一番の 

お金持ちの長者の孫で、そのお礼に米を一俵もらったり、 男が作った縄を 

売り歩いているときに暴れ馬が走ってきて、びっくりして、男が投げた縄が、 

たまたま馬の首にはまって、急に馬がおとなしくなりました。 

男が、縄を持って馬を引いて歩いていると血相をかえて、お侍さんが走ってきました。 

侍がいうにはその馬は、殿様の大事な馬で、殿様とお連れの者が鷹狩りに来たときに、 

急に暴れて逃げ出したということです。 

あとから、お城によばれ殿様から、小判と絹の反物など 褒美をたくさんもらったりしました。 

そんなことがつづき、男は、ボロ家を壊し、立派な家を建てました。 

 ある晩、家の戸をたたく音がしたのでまた、なにか、良いことがあるのかなと 

思って戸を開けてみると、そこには何とも言えない暗い不吉な雰囲気につつまれ、 

我慢できないほどの臭いにおいを放つ、あばただらけの世にも醜い女が立っていました。 

「う、臭い、おまえは、誰じゃ」 

「私は、黒闇天じゃ、これからずっとお前様のところに、居候させても らおうとおもってな」 

 「おまえなど、よんだ覚えはない、さっさと出ていきやがれ!」 

そういうと、男は、入って来ようとするとする黒暗天を押し返してしまいました。 

 そうすると、どういうわけか、吉祥天が家の外へ出ようとするではありませんか 

「あ、吉祥天様、どうなさったんです、出ていっちゃーだめですよ 

出ていかないでください、お願いします。」 

 「さっきの黒闇天は、私の妹です、私たちは双子の姉妹で 

いつも一緒にいないといけないのです」 

そういって男の家から出ていってしまいました。吉祥天が出て行った後は、 

男は落ちぶれて、もとの貧しい暮らしになったということです。 

  

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この話は、幸福と不幸というものは波のようにやって来て幸福だけを、 

手にしようとしてもかなわない事だという教訓として示していると思います。 

『そう、鬼も、福も内でいいではないか鬼が来たなら、来たで乗り越えていくのが人生だ』 

節分の日、福豆を噛みしめながら何となくそう感じ… 

「ちょっと、あなた」 

『来た、来た』 

節分の豆まきの豆は、邪気を払うものですが

虫歯菌や歯周病菌などのお口の中の 邪気を払うのは、

何といっても歯磨きです。

食べた後は、歯磨きを忘れずに! 

医療法人 添田歯科診療所 院長 添田義博 

      

※ お断り:吉祥天(福の神)と黒闇天(貧乏神)の話は、 

             私の独断でオリジナルのストーリーを脚色しております。      

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