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PostHeaderIcon 添田院長ブログ Vol.88 「無常」

—————————————————————————院長ブログ

「無常」

 祇園精舎の鐘の音 諸行無常の響きあり...

これは、皆さんご存知の平家物語のはじまりの一節です。

この無常という言葉、そもそも仏教の言葉で この世に存在するものは、

すべて生滅して 変化し続けているという意味だそうです。

【すべて生まれたものは、限りがあって、死んでゆく】

【すべて集めたものは、限りがあって、散ってゆく】

【すべて得たものは、限りがあって、消えてゆく】

【すべて造ったものは、限りがあって、崩れてゆく】

【すべて高みにあるものは、限りがあって、陥ちてゆく】

これは無常を詠った詩ですが、だれがこの詩を創ったのか

わかりませんが、おそらく仏教の修行者だということです。

私自身、この宇宙に唯一の真理があるとするなら、

「この宇宙で、変化しないものなど存在しない」

すなわち、すべて存在する者は、無常である」ということのような気がします。

人の心も、身体も、人間関係も、そう私たちが住む街、国、世界 この地球も、

そして宇宙すらも変化して止まないのが真理のように思います。

そうした中、淡雪のごとく手のひらに達した瞬間消えていくような幸せを

いつまでも、とけずに残っていると思い、握りしめ離そうとしないのが、

悲しいかな人間の性ではないかと思います・・・。

私は、この「無常」に関して、お釈迦様のキサ.ゴータミという

女性信者の話を思い出します。

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キサ.ゴータミは夫と幼い息子と幸せに暮らしていました。

ところが、不慮の事故で夫を失います。

悲しみに打ちひしがれている間もなく、流行病(はやりやまい)で、

最愛の息子も亡くなってしましました。

度重なる不幸に、茫然自失し 息子の死を受け止めることができませんでした。

キサは、村の医者にもう息をしていない息子を見てもらいます。

医者は、首を横に振って言います。

「残念ながら、死んでしまった人間は生き返らせることはできないな」

それでもキサは、あきらめることができず、腐敗し始めた、息子の躯を背負い、

村々をさまよい歩き道行く人に尋ねます。

キサ 「もし、どなたか、この子の死の病から生き返らせてくれるかたを

    しらないでしょうか」

男 「うっ! なんだ、あんた、この子は死んでるんだよ、生き返るわけな いよ」

男は、狂人を見るように、走り去っていきます。

キサ 「もし、そこのご婦人、この子を生き返らせてくれる人をご存じないで すか」

女 「祇園精舎というところに、お釈迦というかたがおられ、何でも、不思議な神通力を

  使って奇跡をおこすという噂ですよ」

キサ 「ほんとうですか!ありがとうございます、お釈迦様にお会いしにそこ に行ってみます!」

キサは、お釈迦さまに合いに祇園精舎を訪れました。

キサは藁にもすがる思いでお釈迦様にお願いをします。

「あなた様が神通力で奇跡を起こすという噂を聞いて、長い旅の末 ここに参りました。

どうか、どうか、この私の息子を死の世界から蘇らせてください お願いいたします。」

お釈迦様は、慈悲深い眼差しでキサを見つめ、答えます。

「あなたの願いはわかりました、 今まで死者を一度も出したことのない家から、

芥子の粒をもらって来て 下さい」

 「本当ですか!ありがとうございます!」

キサは喜び勇んで、芥子の粒を探しにいきます。

キサ 「あの~もし、おたくの家で亡くなられた方はございますか?」

ある家の村人 「半年前、父が事故でなくなったばかりで・・・」

次の家でも 「娘が、流行病で二年前に死んでしまって・・・」

その次の家でも 「兄が、毒蛇に噛まれて一年前に・・・」

キサは、毎日足が棒になるまで芥子の粒を求め、村から村へと歩き続けました。

しかし、死者を出したことのない家は見つかりません。

そして、いつの間にか 祇園精舎の前に戻っていました

お釈迦様は、キサに優しく語りかけます。

 「キサよ、芥子の粒は見つかったな?」

お釈迦様の言葉を聞くなり、キサの目から

とめどなく涙があふれました。

ひとしきり泣いた後、キサはお釈迦様に言います

「無理なお願いをし、申し訳ありませんでした。芥子の粒はどこにも見つかりませんでした。

私は、自分の息子が、死んだにもかかわらず、悲しみのあまり、息子の死を

受け入れることができませんでした。私は、気づきました。

死は、私の息子に起こった特別なことでなく、多くの人がそれを受け入 れて、

乗り越えて生きているということを ・・・そのことを教えていただいて、ありがとうございます。」

お釈迦様 「最愛の息子を亡くすとうことは、耐えがたい苦しみだったでしょう。

しかし、この世のすべては無常です。生まれそして滅して変化し続けます。

我々人間とて、無常ということから逃れることはできません。

私達は、この精舎に集い、無明から目覚め 正しい道をもとめ修行をしています。

あなたも、ここで一緒に修行をしませんか」 キサは、その後 最愛の息子を荼毘にふし、

お釈迦さまのもとで修行を積んで悟りを開いたというそうです。

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行きつけの美容室で若くなったといわれたようで、先ほどから妻が、

ご機嫌で鼻歌まじりに洗濯をしています。

突然、家内の鼻歌が消えました。

家内が「あ~、また~、入ってる、あのね~  

    あなたのズボンのポケットは、いつも

    ティシュだの、紙切れだの、綿棒だの、

    洗濯するものの身になってよ。まったく~」

そう、家内の機嫌も『無常』でありました。

   

ところで皆さん、お口の中も無常です。

噛み合わせも、歯肉の状態も私たちのクリニックでは、

できる限り治療した歯が変化しないように、長持ちするように努力しています。

しかし、どんなに快適で、調子が良くても 最低年に2~3回は

チェックとメインテナンスを受けられる事をお勧めします。

 

※キサ.ゴータミの話は、仏教教典に書かれているオリジナルとは、

 かなり違うかもしれません。

  私の独断と偏見で脚色させていただきました 関係者各位の皆様、ご容赦ください。

   
1年にわたり、お付き合いいただきました、ブログですが
ここで少し一息いれ、暫くの間お休みをさせて頂きたいと思います。
 
読むに耐えないような、稚拙な文章にもかかわらず、お付き合い
いただきました読者の皆さま、そして、様々な私の注文にも、
いつも素早く的確に行動し、編集をしていただいた、
ウサギ編集長に、改めて感謝の意を表したいと思います。
本当にありがとうございました。
 
                        添田 義博

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