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PostHeaderIcon 院長ブログ Vol.54 「風を感じて」

  

————————————————————–院長ブログ

「風を感じて」

大学5年生のときに、知りあいの影響でウィンドサーフィンを始めました。

最初は、弱い風でもボードに立つこともできず

ヒックリ返ってバチャンと海に落ちては、

ボードに這い上がり、また立ったと思ったら

海に落ちるという繰り返しでした。

風を感じて、そして巧みに風をとらえ、ボードの後ろに

女の子を乗せ颯爽と海面をすべっていく知人を、海水で

カラカラになった口に指をくわえて、恨めしげに見ていたことを思い出します。

夏休み週に3、4回 大阪、神戸の近場の海に繰り出し

風に弄ばれながら、なんとか、弱い風なら乗りこなせるようになりました。

   

9月の初め、風が強いある日曜日

大学の同級生のS(彼のウィンドサーフィンの腕は私とどっこいどっこいで、

強い風には、木の葉のように弄ばれてしまうレベルです)と風を求め、

セールとボードを車の上につんで、甲子園浜へ繰り出しました。

いつもの甲子園浜は、海が淀んでコーヒー色ですが、この日の海は、オフショアーに強く

吹く風の影響で汚いものが沖に流され、美しいコバルトブルーです。

「見ろ!、沖縄の海みたいや、風も吹いてる、吹いてる、いい風が」

Sが海を見て叫びました。

天気予報では、小型ながら台風が紀伊半島沖を通過し、風が強くなり暴風注意報

そして警報がでるかもしれないと言うこともあり、いつもなら場所を見つけるのに苦労するのに

その日は数人のウィンドサーファーだけで、浜は、珍しく閑散としていました。

いつもと全く違う、美しい海に罠があるとも知らず、自分たちの腕も省みず、

無謀にも私とSは早速、ボードをセッティングしコバルトブルーの海へ。

最初は、私やSでも楽しめる風が吹いていたのですが、そのうち、風はだんだん

強くなってきて、セールをおこすと強風で海に投げ出され、立っているだけでも沖へ

流されていきました。

そのうち立つこともできなくなり、ボードにしがみついているのがやっとの状態になりました。

海でボードを滑らせていた数人のウィンドサーファーたちは

上級者ばかりで、強風の中、かっこよく自力で浜に返っていきました。

私とSはというと水溜まりに落ちた蝶、いや蛾のように、もがきながら

ボードに上がっては風の力で海に振り落とされるということを繰り返す

ばかりで、さらに、沖へ沖へと流されていくばかりです。

いつの間にか太陽も西に傾きまわりを見渡すと、どういうわけかSの姿も見えなくなり

誰もいなくなった黄昏色の海には、ボードにしがみついた

私独りだけでした。どれぐらい長い時間経ったでしょうか

自分で帰る術もなく、助けもなく、なす術もなく

ただ、流されるままになっている間に

太陽が西の海に姿を消しはじめ、東の空から

夜の帳が迫ってきました。

その時、風のいたずらか?誰かが呼んでいるように感じました。

 「お~い、お~い、大丈夫か?」

 『幻聴か?』

 「お~い、お~い、生きてるか?」

 『誰か、助けに来てくれた?』

 「お~い、お~い、ソー、エー、ダー」

確かに、誰かが私の名前を呼ぶのが聞こえました。

声の聞こえたほうを、振り返ると

なんと、私と同じように風と波に弄ばれながら、ボードにしがみついた

Sの姿がそこに・・・

私 「お、おまえ、俺を助けにきてくれた? な、わけないよな」

S 「おれも、おまえも風まかせ、どこにいくかわからんやろ」

私 「日も暮れて来たし、腹もへったし、寒なってきたしおれたち、どうなるんやろう?」

S 「ずっと沖のほうに防波堤があるらしいけど、運良くそこに流れ着い

  てひっかかったら、そこで助けを待つしかないな、でも、そこから沖のほうへ

  流されたら、瀬戸内海か、大阪湾か、どうなるかわからん」

私 「ひょっとした捜索願かなんか出て、明日の新聞に

   載るのと違うか」

S 「こんなとこで死にたない、神風でも吹いて浜に

  戻してくれへんかな・・」

二人で、暫し言葉を交わしたのも束の間

風と波のいたずらか、どういうわけか、お互い違う方向へと

S 「お~い、がんばれよ~、運が良かったら、防波堤で会おう」

私 「おまえも、達者でな~」

Sは暗くなった海に流されていき、私の視界から遠ざかり、

やがて消えていきました。

そして再び暗い海には、風を感じてボードにしがみつく

私独りだけになってしまいました。

暗い海でどれぐらいだったのでしょうか? 

突然、私の周りの海が、明るくなった

大きなクルーザーが、サーチライトでこちらを照らしながら近づいて来ました。

「大丈夫か? こんな日に風の強い日に、海に出て無茶やな~

僕の船に釣り上げられて良かったで、もし海上保安庁の巡視艇にでも

助けられたら、べらぼうに高い罰金を取られ、2、3時間みっちりお説教をされるとこやで」

初老の船長らしき人が、船のクルー指示し

私とボードを拾い上げてくれました

私は、船長にSがまだこのあたりの海を漂っていることを話すると

船長は、ものの5分もしないうちにSを見つけ

ほどなく、Sもクルーザーに助け上げてくれました。

そのクルーザーは当時、建設計画が進んでいた関西空港測量の帰りで、

西宮港に帰港する途中、たまたま風に流され漂流している私を見つけたようでした。

クルーザーの船長は空腹と疲労で、ボロぞうきんのようになった私とSに

暖かい、スープを振る舞ってくれました

そのとき、一杯のスープのおいしかったことは、今でも覚えています。

船長は、私たちを甲子園浜の近くに下ろし

「兄ちゃんたち、こんな丸太みたいなもんにビニールシートをつけた

ヨットのおもちゃみたいなもんに乗ってたら、危ないよ、仕舞いに

命を落とすよ、乗るんだったらもっと大きな船に乗りなさいや」

そう言って、帰っていきました。

その事件以来、私もSもウィンドサーフィンはやめました

診療所から窓の外を見ると晴れているものの、台風の接近の影響か

風が強く幟(のぼり)が強くはためいています。

そう、こんな日は、風を感じて、六時間以上漂った甲子園浜のことを思い出します

あのとき、測量船に拾われていなければ

歯科医として働くことはできなかったかもしれません

そう思うと、拾われた命、風の日も、雨の日も、一生懸命生きていこうと思います。

医療法人 添田歯科診療所 院長 添田義博

 

                        

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