ソエダ歯科HP
アーカイブ

PostHeaderIcon 院長ブログ Vol.34 「ダルマ」

 

————————————————————院長ブログ

「ダルマ」

  

皆様、大変お騒がせしております、民主党の××でございます

 ××は皆さまの生活を守るため 一生懸命がんばります!

 ××にまかせてください! ××はやります! ××は約束します! ・ ・・

  

朝早くから、お騒がせしております、 自民党の○○でございます。

 ○○!○○! 皆様!○○!○○!でございます。

 この国の政治このままでいいのでしょうか?○○は、元気な日本を

 もう一度とりもどすため皆様にお願いに参りました・・・

 

民主党もだめ、自民党もだめ、どちらも政権担当能力がということが はっきりしました!

 やはり共産党です 参議院選挙には、共産党の☆☆!☆☆!・・・

  

もうすぐ参議院選挙です 朝早くから、次から次へと市民の迷惑も考えず、

本当にお騒がせで 静かにして欲しいと思います。

選挙は、国民のためというより 政治家の先生のためにあるのではないかと、

強く感じるのは 私だけでしょうか?

  

ところで、選挙といえば、開票速報などで当選した 候補者の喜びのようすが、

テレビで放映されます。

その際に、必ずといって出てくるのがダルマです。なぜダルマなのか。

起き上がり小法師という玩具があります。

底が球面状になっていて重心が低く作られているので、

何度倒しても起き上がってきます。

この起き上がり小法師に、赤い法衣をまといずっと壁に向かって座禅を組んでいたと

云われる、ダルマというお坊さんの逸話から、ダルマの顔が描かれるようになったようで、

玩具の倒れても倒れても起き上がってくる、七転八起、そういった性質から

菩提達磨大師 月岡芳年画

次第に縁起物となっていったそうです。

ダルマは正式には菩提達磨大師といい、インドから

中国へ禅宗を伝えたとされ、お釈迦さまの教えを

受け継いだ摩訶迦葉尊者から数え二十八代目の

祖師と云われています。

そのダルマ大師が、三年の歳月をかけ中国南部

(広州)に着いたときの話です。

当時(527年頃)、広州をふくむ中国南部は

梁の武帝が治めており武帝は深く仏教に帰依していて

仏教の発展に貢献した有名な人物です。

武帝は、インドからお釈迦様の教えを受け継いだ、偉大な僧侶がやってきたということを知り

ダルマを招き、尋ねました。

武帝   「私はね、皇帝になってから、たくさんお寺を建てたり、お経を翻訳したり、

      僧侶を育成したりしたが、これらのことは、どれほど功徳(功績)があるかね?」

ダルマ 「無功徳(まったく功績なんかありまへんで)」

梁の武帝

武帝  「なぜ無功徳なのじゃ?これ程のことをしているのに」

ダルマ 「あんた、自分のやったことを偉大なことと認めてもらい

     たいのですやろ、見返りを求めてやってることは真の

     功徳といえまへん。あんたのやったことは、物にできる

     影と一緒で、まったく実体のないものでおます」

自分の功績を認めてもらえると思っていた武帝は

キレて、ダルマに対し

武帝  「おまえは、何さまのつもりじゃ、誰にむかってものを言ってるのだ」

ダルマ 「不識(知るか)」

そう言って、皇帝でえらい人か何か知らんけど

こんな人間に付き合っている暇はないと思って、武帝のもとを去り

少林寺にいき、静かに壁に向かって一日中、座禅を組んでいたそうです。

   

パソコンに向かって静かに、ブログを書いていると妻がやってきて

「あ、また、ブログ書いてる、だいたいあなたのブログはダラダラと、

長いし、硬いし、オモシロくないしね、林真理子風にするとか、

4コマ漫画にするとか、でないとそんなブログ誰が読むの・・・・」

『不識』

妻の言葉に、私は手も足もでない、いや口が出ない

しかし、起き上がり小法師のように七転び八起きで

負けずに、書いていきます。

医療法人 添田歯科診療所 院長 添田義博

※達磨と武帝のやりとりは、一部を抜粋し自分なりに勝手にアレンジしています。

  実際のやりとりとは少し違っているかもしれません。

フリー素材の来夢来人

Comments are closed.