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PostHeaderIcon 院長ブログ Vol.26 「ランボルギーニ」

 

——————————————————————- 院長ブログ 

「スパーカー ランボルギーニ」

   

私が、たしか高校生2年か3年のとき、漫画「サーキットの狼」などの影響もあり

欧州車を中心とした、爆発的なスーパーカーブームが起こりました。

なかでも人気があったのは、ランボルギ-ニや、フェラーリーといった、

イタリア製の2シートのスポーツカーでした。

父は、車好き、新しい物好き、そして、珍しい物好きにくわえ、当時

大学で自動車部に所属していた姉が、スーパーカーの素晴らしさを説き、

何とかスーパーカーを手にいれようと父を煽りたてこともあり、姉のおねだりに弱い父は、

とうとう本当に、ランボルギーニ・カウンタックにくわえランチャー・ストラトスまで購入しました。

そんなわけで、私の家には、もともとあったアメ車(アメリカ車)2台とスーパーカーを加え、

4台の外車がありました。

さて、日に日に高まるスーパーカーの人気とともに、私の家にスーパーカーがあるという噂は、

どんどん広まってゆき、姉が女性週刊誌から取材を受け、写真入りでその雑誌に

掲載されるまでなりました。

それからというもの姉の自動車部の仲間が、頻繁にぞろぞろやってきたり、日曜ともなると、

近所の小中学生が鈴なりになって、スーパーカーを撮ろうと門の前でカメラをもって

待ち構えていたり、週刊誌などでウワサを知った、日頃、口もきいたこともない高校の

同級生がフレンドリーにスーパーカーを見せて欲しいとすり寄ってきたりする有様でした。

家にスーパーカーがあっても、運転免許もなく、車も運転できない私は、

グリコのキャラメルのオマケのまたオマケようなもので、急に、「カー、カー、スーパーカー」と

カラスが鳴くように周りが騒々しくなっただけで、ちっとも面白くなかったことを覚えています。

    

さて、私の家にあった当時スーパーカーの代名詞と

いわれていた、ランボルギーニ・カウンタックの話をします

このカウンタックなる車は、ドアがガルウイングドア

(厳密にはバーティカルドアというそうです)

といって、普通の車と違って横に開閉するのではなく、

上に開閉しました。

私は、「もし車の色が、こげ茶色(私の家にあったものは

幸い赤でした)ドアを開けた状態で、前から見たら、

ゴキブリ王様が羽を広げたような変な形をしているな」と

よく思ったものでした。

そして、この車は車高が、私の腰ぐらい?の1m程度でかなり低く、

座席はバケットシートといって、F1のレースカーのよう になっていて、

座ると、お尻と背中がシートに沈み込み、ヨガの屍のポーズから背中を

ちょっと起こしたかっこうになります。

もともと、背が高く、足が長い、イタリア人のおっちゃんや兄ちゃんが乗るように

作られた車なので、彼らに比べ、背が低く、足の短い日本人(日本人でもイタリア人の

ような人もいますが、あくまで一般論です)は車から乗る時はまだしも、降りるときは

ヨッコイショ、ドッコイショ、オットットと、よろけそうになり車のカッコよさとは裏腹に、

まことにカッコ悪いかっこうになります。

ところで、この車はV12、5000ccのモンスターエンジンを搭載しており、最高速度が

300km超といわれ、当時フェラーリー512bbと最高速を競っていました。

5速の一番低いLOWギアでも、軽く90kmのスピードを出すことができ、

この車のカッコよさを味わうには一般道道などでトロトロ走っていても全然 サマにならず、

名神や中国自動車道などの高速で、パトカーや白バイに追いかけられ、捕まるのを

覚悟でブッ飛ばすしかありません。

父はこの車のカッコよさを味わうため、よく姉と休みのたびに高速を走りまわっていたようです。

新車を買って以来、姉ばっかりドライブに連れてくことに後ろめたさを感じたのか、

7月のある晴れた暑い日曜日に、はじめて、父は私をドライブに誘ってくれました。

当日、朝早く家から、門にへばりついた鈴なりのカメラ少年たちを尻目に颯爽と、

快適なドライブへ!

ランボルギーニは、阪神高速を通過し、中国自動車道へ、西へ、西へ、順調に、

猛スピードで走って行きます。

父は、スピード狂で車をブッ飛ばすのが大好きで、200km超というとんでもない

スピードでも、屁の河童です。

81歳を越えても、50キロオーバーのスピード違反で、捕まるぐらいのヤンキーじいさん

ですから、当時の車のブッ飛ばしかたは想像していただけると思います。

200Km超そんなとんでもないスピードを経験したことのない私は

遊園地の絶叫マシーンに

乗ったように足を踏ん張り、顔をこわばらせ

「危ない!、白バイに捕まる!、スピー ド落とさな死ぬで!、怖い!」

などと連呼したことを覚えています。

どこか忘れましたが、中国自動車道の岡山のサービスエリアで昼ご飯を食べ、

ホッと一息、今度は、東へ、東へ、大阪へ

最初は、スーパーカーらしくカッコよく制限速度 80kmのところを

軽く100kmオーバーのスピードでブッ飛ばしていたのですが、大阪に近づくにつれ、

前を走る車が、どんどん増えてきてスピードも、180kmから100km、80km、60km へと

ダウンししまいに、周囲の車から、「どんな奴が乗ってるん や」と好奇の目でジロジロ

見られながらノロノロ運転へ。そして、事故のため12km渋滞の表示が見えてきました。

数珠つなぎの渋滞に巻き込まれてしまうと、さすがのスーパーカーも形無しです

座席の直ぐ後ろは、バカでかいエンジンで火の塊のようなもので、車内の気温は

どんどん上がりサウナに入っているように汗がどんどん出てきてます。

クーラーなど焼け石にで、おまけに、窓などすごく小さく、無いに等しいようなもので、

まるで棺桶に入れられ、灼熱地獄に放り込まれたような心地がしました。

やっとの思いで、家にたどり着いてから、どうしたかはっきり記憶にありませんが

熱を出し、2日間寝込んだことだけは覚えています。

それ以降、私があまりにもうるさかったのか、寝込んだことを

気にしていたのか、父は、ドライブに誘わなくなりました。

    

ただ、一度、ランボルギーニで私が通う高校のまで送ってもらったことがあります。

学校の校則もあり、さすがに車で校門まで送ってもらうわけにはいかないので

校門から少し離れたところに、車を止めてもらいました。

そのあたりは近くの女子高の通学路になっていて、

ちょうど登校の時間帯でたくさんの女子高生がワイワイペチャクチャと

歩道を歩いていました。

数人の女子高生達が、止まった車に気付いて

「あ、見て見て、ランボルギ-ニーや!」「カッコいい、乗せて、乗せて」

などといって、車に駆け寄ってきたました。

彼女たちの頭には、スーパーカーに乗っている人=イケメンでカッコいい人という、

固定観念ができあがっていたのだと思います。

私が降りるために開いた助手のドアを通して運転席にいる父を見て

「な~んや、ハゲのおっちゃんやん」と言ってゲラゲラ笑いながら走り去っていきました。

この一件以来、父に車で学校に送ってくもらった記憶はありません。

そして、父は、私が、大学に入って車の免許を取る前に、あの女子高生の言葉が、

父のプライドを傷つけたのか度重なる故障、修理の悪循環に愛想を尽かしたのか

スーパーカーを売り払ってしまいました。

そんなわけで、結局、私はスーパーカーを運転する機会には恵まれませんでした。

考えてみると、このスーパーカーは、見た目は、カッコいいのかもしれませんが、

やれエンジンの調子が悪いだの、やれマフラーの具合が悪いだのと、

故障が出てきて、その都度、修理にだし部品を取りよせるのに

何週間もかかったりすることがめずらしくなく、本当に、不経済で、

実用的な車ではなかったように思います。

少し前、顔なじみの歯科器材のセールスマンから

「先生、今度イタリア製のスゴい器材が、日本で販売されます、デザインもすごくカッコよく…」

そのとき、私の頭にランボルギーニの記憶が鮮やかによみがえりました。

・・・お断り・・・

(今回のブログに関しましては、姉から正確な真実を確認していません私の憶測も

少々入っています、お姉様、もしブログを読んで事実と違うと感じるならお詫びします。

ごめんなさい)

医療法人 添田歯科診療所 院長 添田義博

※ 屍のポーズ   : まさしく死人のポーズ、WEBで写真を見つけてください
※ ヤンキーじいさん: もみじマークをつける年ごろなっても、道交法そっちのけでブイブイブッ飛ばしスピードを出し、何度免停をくらっても全然へこまず、スピードを出すことに快感を感じている爺さんのこと。これは、まったくの私の造語です、こんな言葉はありません。

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